hato-ujiさんの訃報に接し、残念でたまりません。
彼が私より早く逝くなど、ありえないように思っていました。
老年になっても髪はふさふさと黒くて、染めてもいないとのことでしたから、私の中では年を取るということの7不思議の一つでした。
みんながいつも楽しみに集わせていただいた鳩山町の「音工房」で、我々夫婦ともども泊めていただいたときだったか、うちの女房が「自分の人生はどう終わるのか、ふと考えてしまうことがあるんですよね」とhato-ujiさんに言ったところ、彼は「僕はそんなこと考えたことないなー」と言われました。
華齢なる合唱団のリーダーとしても、私などとても出せない若々しい歌声を聞かせてくれていました。指揮者としての指導は、あくまでも優しく、しかし目指すところは高くと、容赦なく引っ張ってくれました。
難曲への挑戦も、普通ならもうダメかと思われるメンバーの仕上がり状態を、何とかなるんじゃない?と、あくまでもプラス思考で励ましてくれました。
hato-ujiさんといえば、コーメイさんがみごとに書いてくださったように、その技術者魂というよりお人柄の現われのような、優しい音色のスピーカー開発を抜きには語れません。
在京飯田高校同窓会の会誌『稲穂』の第19号(2022/10/1刊)に hato-ujiさんが書かれたエッセイ「独自のスピーカーを制作して楽しんでいます」が載っていて、そこにこの研究に打ち込んだきっかけが書かれています。
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そのきっかけこそ、いかにも hato-ujiさんらしさの象徴、hatoーujiさんならではのものと思いました。それはまったく耳の聞こえない打楽器奏者、エヴェリン・グレニーを知ったことからだったといいます。
彼女は、すべての音の振動を体で感じて演奏している、ならば振動を感じるスピーカーを作れば聴覚障害者にも音楽が楽しめるのではないか、そうひらめいたのだそうです。
そしてじつは、このエッセーの何年もまえに、hato-ujiさんはエヴェリン・グレニーとの出会いを、当掲示板に投稿してくれていました。
覚えていっしゃる人もいると思いますが、懐かしさのあまり再録したくなってしまいました。hato-ujiさんの肉声が聞こえてくるような気がして、ちょっと長くなりますが彼を偲ぶ意味でお付き合いください。
――「It's amazing!」
スピーカーに手を触れていてしばらくして、エヴェリン・グレニーの口から出た言葉だった。ついに「木の箱が鳴るスピーカー」をエヴェリン・グレニーに聴いてもらえた。
サイン会をやっている間にロビーに小さいスピーカーを一個用意しておいて「三分聴いてください」とお願いし、エヴェリンのCDを聴いてもらった。
「リズムが正確に、クリアーに伝わってくる」
「普通のスピーカーはフィルターに掛けたようだが、これはダイレクトにクリアーに音が伝わってくる」
「普通の人が音楽を聴くスピーカーとしてもいいのではないか、ほかの人にも聴いてもらいましたか」
「普通のボディソニックは長く聴いていると船酔いのようになり疲れるが、これは長く聴いていられる。これのほうがよい」
「イギリスの友達にも聴かせたい」
「今回は時間がなくてゆっくり聴いていられないが、次には聴く機会を持ちましょう」
以上、娘に聞き取ってもらったエヴェリン・グレニーの言葉である。
「これをイギリスに送るからもっと聴いてください」と言ったら承知してくれた。
そんなわけで、これからも彼女とのつながりが続けていけるようになったのはうれしい。
今回の目的は「このスピーカーの可能性」を知りたいということだった。
①このスピーカーで彼女がCDの音楽を聴くことができるか?(彼女は楽器の音など直接的な音は体全体を使って聞き取れるが、普通のスピーカーではビートや振動は分かっても音楽として聞き取れない)、
②このスピーカーを、耳の聞こえない子どもの音楽教育に使うことができるか。(耳が聞こえない子どもは、なるべく早い機会から音楽に接すべきだ、と言っている)、
③このスピーカーを通して、彼女が電話で会話ができるようになるか。(今は、相手からの電話の声は聞き取れないので、通訳者を必要としている)
①と②は、今回のエヴェリンの反応から見ると可能性があると言える。③は人の声を聞き分けられるほど、このスピーカーの感度がよいかどうかは疑問だが、達成できたらこれはものすごいことだ。
結局三十分以上聴いたり、話したりしたが、その間に二回も彼女のほうから握手をしてくれた。これはうれしかった。
ひとつおまけがあった。帰りがけに一人の女性が近づいてきて、「向こうで聴いていたのですが、まるで会場内で演奏を聴いているようでした。私のトロント大学の先生で人工内耳を研究している教授がいます。あなたのことを紹介してもいいですか」。
北海道大学心理システム科学講座准教授だった。何だかいろいろに発展するかも知れない。――
hato-ujiさんは、この思いをずっと持ち続けて、彼自身の評価ではどの程度まで実現できていたのか、木器にはわかりません。
でも、会うたびに少年のように目を輝かせて、スピーカーのこと、音楽のこと、コーラスのことを語っていた彼は、ピアニストだった奥様との出会いのエピソードから、素晴らしいお子様たちのことのすべてを含め、本当に幸せな人だった、その幸せ度はたぐいまれなものがある、そのことに間違いはないと思います。
今は、そう思ってご冥福をお祈りします。