飯田高校三五会(非公式)を中心に、誰でも参加OK。何でも気楽に書かまいかのページです。
自分の投稿を自分で削除・訂正できます。
投稿するとき、投稿欄にある「編集・削除キー」の欄にパスワードを入れておき、
投稿後、削除・編集したいときは、該当記事の下にある「Pass」の欄にそのパスワードを入れ、
「編集」か「削除」のボタンを押してください。


アクセスカウンター
(since 2001年10月3日(水)02時15分09秒)

今日の誕生花――12月11日 マツバギク


今日の誕生花――12月12日 ワタ



写真:「師走を迎えた飯田」(平岩祥平・木器)

豊丘村~高森町山吹地籍の大橋を望む。


中央アルプス、空木岳方面を望む。(豊丘村・高台で撮影)


今季、一番の冷え込み:マイナス5度(12/06)・・・ネギ等は美味しくなる様です。


恵那山の雪景色(12/06)


11月28日夜の雨で標高の高い山は雪景色です。


天竜川付近の夕暮れ



◆12~1月の壁紙カレンダー◆

(このカレンダーをPCのデスクトップ壁紙として使うには画面を右クリック、
「名前を付けて画像を保存」を選んでPCの任意の場所に保存し、
保存されたファイルをまた右クリックして「デスクトップの背景として設定」をクリックする)

♪「八十路のデュエット」――ル・クプル・コーノ
♪クシコスポスト、♪トルコマーチ、♪荒城の月
♪「八十路のデュエット」2――ル・クプル・コーノ
♪ムーン・リバー、♪埴生の宿、♪旅愁
(上の下線部分をクリックしてください)

◆「日本最大の谷」=2大アルプスに挟まれた「伊那谷」◆

(写真上「中央アルプス」:柏雀。写真下「南アルプス」中「伊那谷・天竜峡」:平岩祥平)

熊伏山上空5000mから見た伊那谷のカシミール画像(柏雀)





飯田高校同窓会ホームページ
還暦記念下部温泉狂宴アルバム(一人一人の41年前タイムスリップ写真付き)
◆金森山便りのブログ(terra)


投稿者名
e-mail
タイトル
本文
画像





URL
文字色
編集・削除キー     項目の保存      
_管理人へのメール (編集・削除キーを入れ忘れて編集・削除ができないときなど)
 「飯田学園」構想について  投稿者:島田坊や   投稿日:2025年08月18日 (月) 21時34分 [返信] No.2926

 この暑いのに誠にお堅いお話で恐縮です・・・。

 市教委にいた時、小中学校に在籍する9年間の教育活動で、発達段階に応じた生きる力を着けさせようと、議論に議論を重ね「飯田型小中一貫教育」を始め今日に至っています。

 それ以降、引き続き飯田市では「飯田らしい義務教育」を求め、10年以上実践と研究を重ねた結果、ここに添付したような「飯田学園構想」が出来上がりました。
試行段階を経て8年度から本格的に始動する予定です。

 今、各学園では子供たちが自ら求めて地域の人・もの・ことに触れ、体験し、考える教科「みらい創造科」を準備しているところです。
 子供たちがワクワク、ドキドキしながら学ぶ姿を想像してみてください・・・。飯田市も文化度の高さを誇りとし、将来に向けて何とか頑張っております・・・。

 飯田を愛する皆々様方、陰から、遠くから、是非ご声援を送っていただければ幸いです・・。

 暑く、いや熱くてごめんなさい・・・。





 
 



Pass 管理人へのメール
 南信州新聞記事  投稿者:ひらいわ  投稿日:2025年08月18日 (月) 10時00分 [返信] No.2925


Pass 管理人へのメール
 中日新聞記事  投稿者:ひらいわ  投稿日:2025年08月18日 (月) 10時00分 [返信] No.2924


Pass 管理人へのメール
 中日新聞記事  投稿者:ひらいわ  投稿日:2025年08月18日 (月) 09時58分 [返信] No.2923



Pass 管理人へのメール
 飯島邦彦君、続きのお話し  投稿者:島田坊や   投稿日:2025年08月16日 (土) 16時12分 [返信] No.2919

 飯島邦彦君の飯田測候所に関する地元新聞記事を7/20付けのopenに平岩君が載せてくれました。
 しばらくたって地元のある方から電話がありました。飯田高校の後輩でよく知った人でした。
 飯島さんには金沢で大変お世話になりましたとのことで、是非奥様の居所・電話を教えてもらえませんかとのこと・・・。
 この三五会OPENで石狩市在住の和子さんに、偶然同じマンションとのことでしたので伺えばとも思いましたが、個人情報なので当openの福島管理人さんの手を煩わせ確認していただきました。
 判明した住所電話番号へ早速彼はお手紙を出しました。数日後には奥様の「イソ」様からご返事が届きましたとのお知らせ・・・。
 60数年前に金沢で大変お世話になったお礼と、感謝の気持ちがを伝えることができ、願いがやっと叶いましたとのことでした・・・。
 「イソ」さんも龍江のご出身とのことで、何かと通じるものが多くありましたとのこと・・・。
 このように当openも、いろんな方が見ていて下さっていたり、今回のような出会いもあったりしますので、地元の情報提供などが、少しでもお役になれればと思ったところです・・・。

 皆の衆、まだまだ暑いようですのでご自愛あれ・・・。






Pass 管理人へのメール
 飯田のソウルフード  投稿者:ひらいわ  投稿日:2025年08月15日 (金) 22時49分 [返信] No.2918

テレビ信州・お盆特番より。上から、
「焼肉・徳山」
「焼肉・徳山」
「今宮半平」
「丸現」

Pass 管理人へのメール
 北の国から  投稿者:コーメイ  投稿日:2025年08月14日 (木) 11時32分 [返信] No.2917

 先の北海道家族旅行で、最後に訪れたのは、愚息がそれとなく拘った、富良野市の「五郎の石の家」であった。人里離れた山林に囲まれたそこは、「北の国から」、倉本聰のあのテレビドラマの撮影現場の一つで、入場料を払って見物した。

 この11日からフジテレビ(8チャンネル)で再放送が始まった。平日午後の時間帯で、29日まで、第1話から24話までが予定されている。
 14日の放送のみ無いようだが、昨日まで3日鑑賞した。この住いは木造のボロ家で、まだ「石の家」は無い。周りも草木がおおい茂っていて、こんな所での撮影は大変だったろう、と感慨ひとしおである。いずれ隣にある「石の家」もお目見えする筈だが、テレビ製作者の苦労を思う。
 田中邦衛(五郎役)、吉岡秀隆(純役)、中島朋子(蛍役)の演技も素晴らしく、ビデオに撮り、コマーシャルを早送りして、観入っている。

 純役の吉岡秀隆は、愚息と同学年。漢字は、織田信長家臣で、岩村城主、甲斐の国司を務めた河尻秀隆と同じ。愚息は「ヒデタカ」だが、漢字は異なる。

 実は、この役者さんのファンになったテレビドラマがある。4~5年前、「長崎の鐘」の永井隆役をつとめた。この偉人の生き様を実に忠実に、まさに真に迫る演技であった。

 先の北海道旅行も思わぬ話題を提供してくれている。

Pass 管理人へのメール
 南信州新聞記事  投稿者:ひらいわ  投稿日:2025年08月12日 (火) 05時12分 [返信] No.2916


Pass 管理人へのメール
 カンボジア報告 1  投稿者:島田坊や   投稿日:2025年08月11日 (月) 18時58分 [返信] No.2915

 今年度のカンボジアスタディツアーは、定員オーバーの17名の高校生参加のもと実り多いツアーとなりました。
 現地での交流の様子を何ヶ所か順次報告しましょう。

 「飯田小学校」は昨年カンボジア王国の公立校に昇格し、1年生から3年生きで38名が、国から支給された初めての制服を着て嬉しく、元気に笑顔いっぱいに飛びまわっていました。
 親たちは皆伝統の森でクメール伝統織物の制作に携わっており、午前中の交流時間には母親全員が、日本でいう父兄参観日のように笑顔で参加してくれていました。
 日本の折り紙やお絵描き、尻取りゲームなど元気よく力いっぱいの交流をしていました。高校生のにわか仕込みのクメール語や、子供たちの片言の日本語が飛び交う中、時間を忘れての交流が展開されました。
 高校生たちは異文化を感じながら、スキンシップを通して心が通じ合う素晴らしさと喜びを体験していました。
 カンボジアの教育には音楽・体育などの教科はなく、訪問の度に情操面を育む必要を感じますが、子供たちが将来社会的価値観をどう構築していくのか・・・。カンボジア教育の今後の課題の一つと思うところです・・。
 公立校として今後6年生まで学べるスペースが必要となりますが、現時点ではその動きは全くなく、お国柄のモイモイ(ゆっくりゆっくり)精神なのでしょう・・・。
 こうした状況ですので「細く長く」をモットーに支援を続けなければと思っているところです・・・。
 


 

Pass 管理人へのメール
 さようなら  投稿者:こうの  投稿日:2025年08月10日 (日) 06時17分 [返信] No.2914

ウジ、、
またなッ
夫婦にこの花届けるなッ

Pass 管理人へのメール
 氏原孝志君安らかに  投稿者:島田坊や   投稿日:2025年08月09日 (土) 22時19分 [返信] No.2913

6日にカンボジア・スタディーツアーから帰国して氏原孝志君の訃報を知りました・・・。
一年ほど前に電話でお話したのが最後となってしまいました。
その電話は、カンボジア「飯田小学校」の公立記念碑建立の募金にご協力いただいた際、わざわざ激励のお言葉を送ってくれました。
氏原君はカンボジアの「飯田小学校」建設当初、東京三五会から井伊君、河尻君と三人で現地まで赴いてくださいました。

その際、冷静に物事を判断し、その場に沿った助言等いただきました。一つ印象に残っていることに、カンボジア定番の校舎建築の方式について、この窓枠のところはもう一工夫が欲しいね・・・。と的を得たご助言をいただきました。
その後何年か経過し、修繕の折にその助言が生かされ、指摘の窓枠が改良され室内が明るくなり現在に至っています。
さすがモノ作りに精通した彼らしい助言でした。飯田では彼を知る東中の同級生の皆さん方が心を痛めておられます・・・。
氏原孝志君のご冥福を心からお祈りします。






Pass 管理人へのメール
 もうすこし……  投稿者:木器  投稿日:2025年08月09日 (土) 07時56分 [返信] No.2912

 やはり、hato-ujiさんについては、次々と思い出すことがあり、この際、掲示板を総ざらいしてみようと思い立ちました。もうすこし付き合ってください。SANGO-kai OPEN に登場した hato-ujiさんのこと。

 掲示板ですので、時系列は逆になっていますが、ネット環境でのやり取りなのでそのままにしておきます。hato-ujiさんの忘れられない「近況報告」を始め、大変貴重なやり取りが残されていると思います。

◆ 五平餅といえば…… 投稿者:木器 投稿日:2025年04月11日 (金) 11時16分

 そうそう、そうでしたね熊文さん。五平餅といえば hato-uji さんの音工房での五平餅パーティーが何よりの思い出ですね。

 木器はその音工房での五平餅に先立つ何年かまえに、hato-uji さんのご自宅で奥さんはじめ息子さんたちとも一緒に五平餅を焼いて食べた経験がありました。
 それだけに、hato-uji さんと五平餅とは切っても切れない思い出があります。

 それともう一つは、飯田高校在京同窓会や「どぶろくを飲む会」「塩イカを食べる会」などで、今は亡き井伊さんが中心になって五平餅を焼いたことも忘れられません。
 あの五平餅はどうやって調達したんだろう。今になってふと疑問になってきました。コーメイさんやおたぐりさんなどはご存じですか?

◆ 近況報告(2) 投稿者:柏雀 投稿日:2024年09月11日 (水) 15時40分

 Hato-ujiさんの近況報告、びっくりしました。

 私もすでにいいトシですから、なにが起こっても仕方がないのですが、そんな時には、事態を冷静に受け止め、前向きに対処していくことがほんとうに大切なんだなと・・・そんなことを教えて頂いたような気がします。

 早く元気になって下さい。

◆ ノーベル賞の治療法 投稿者:木器 投稿日:2024年09月11日 (水) 11時01分

 たしかhato-ujiさんのおっしゃっている「がん免疫チェックポイント阻害剤」の一つであるオプジーボという薬は、ノーベル賞を受けた京大教授・本庶佑さんの研究に基づく治療法だったのではないかと思い出し、改めて調べてみたらそのとおりでした。

 本庶さんの研究は、「免疫抑制の阻害によるがん治療法の発見」というものですが、ちょっとわかりにくいのは「抑制」と「阻害」という否定語が並んで、二重否定になっている働きだからでしょう。

 もともと外敵をやっつける力を持っている免疫細胞には、その力が効きすぎると害になる場合があるので、その力にブレーキをかける装置、免疫システムのチェックポイントが付いているそうです。
 ところががん細胞というのはなかなか悪がしこくて、このチェックポイントを悪用し、免疫細胞の働きにブレーキをかける、つまり「抑制」をかけることがあるそうです。
 そのため、せっかく免疫細胞があっても、その働きが発揮されないまま、がん細胞が勢力を増してしまいます。

 そこでこの「抑制」の働きを「阻害」することができれば、免疫細胞は本来のがん細胞を攻撃する力を発揮できるようになるという着眼が、ノーベル賞につながったということでしょう。

 つまり、hato-ujiさんの受けた「がん免疫チェックポイント阻害剤」とは、人間が本来持っている免疫細胞の働きを邪魔するものを取り除き、免疫細胞の本来の働きをしてもらう、そのための薬ですから、がん細胞を直接攻撃する劇薬とは違って、副作用も少ないということのようです。 

 hato-ujiさん本来の優れた免疫細胞が大活躍できる、理想的な治療法に出会えたのではないでしょうか。このノーベル賞級の治療に、大いに期待したいと思います。

◆ hato-ujiさん、ありがとう! 投稿者:木器 投稿日:2024年09月11日 (水) 06時25分

 hato-ujiさん、すこし漏れ聞いてはいましたが、ご本人から詳細なご報告があり、それも極めて明るい方向を示していて、本当にうれしく思いました。

 hato-ujiさん、つくづく思います、現代の医療はまこと大したものです。日進月歩とよく言いますが、日に日に新たな療法が開発され、成果を上げているようです。
 もちろん、ご自身の持って生まれた生命力と日々の節制、それに歌や音の力もあるでしょう。
 この分だと、hato-ujiさん、大丈夫、絶対いけます! がんとの共存どころか完治を目指し、最先端医療を信じましょう!

 軽はずみなことは言えないでしょうが、ご本人のこのご報告は、我々同期の人間にとってすごい救いになります。もちろんご本人が救われるのが最優先ですが、そのおかげで私のような能天気な人間まで、明るい展望が持てて助かります。
 この投稿は、大変ありがたいご利益をみんなに与えてくれると思います。
 ありがとう! hato-ujiさん!

◆ 近況報告 投稿者:hato-uji 投稿日:2024年09月10日 (火) 16時14分

大変ご無沙汰しています
明るく、気持ちを元気にさせてくれる書き込みが多い中で、ちょっと湿っぽい書き込みですみません。
実は胃がんが見つかって今治療中です。でも良い薬のおかげで今は普通に近い生活をしています。
昨年暮れに、自覚症状は全く無かったのですが、3年くらいチェックしていないからと、前に大腸がんを見つけてくれた町の病院に行き、内視鏡で見て貰ったら胃がんの疑いが強いと言われました。
近くにある心臓とガン専門の埼玉医大国際医療センターに12月暮に検査入院し、詳細に調べたところ、 胃がん、ステージ4、余命3ヵ月から6ヵ月、癌細胞が種がちらばる様にあり手術は不可能と言う診断でした。放射線治療も手術もできないので抗がん剤による治療をする事になりました。
1月には腹水が溜まり、ガンマーカーと言われるCEA値が正常は5以下に対し117あり状態は良くありませんでした。
3週間に一度2種の点滴と2週間の飲み薬の抗がん剤治療が1月13日から始まりました。
病院が選定してくれた抗がん剤が私の体に最適だったのか、2月には腹水が無くなり、CEA値が2月には半減の54.0になり、3月には4.6と正常値になりました。
がん細胞を視覚的に診るCT検査は4月と6月にしましたが、他への転移は無く、癌細胞も僅かずつ減少しているという結果でした。
抗がん剤治療を受けると一般的には副作用があり苦しむようですが、幸い私は脱毛、ひどい下痢、食欲減少などの副作用が無く、夏の暑さで疲労感はあったものの普通に近い生活をしています。コーラスも月2回の練習はやっています
私の胃がんは完治するという事は無いようで、抗がん剤治療を続けて、少なくも今の状態より悪くならないようにしようと思っています。
それにしても現在の医学はすごいですね。“免疫チェックポイント阻害薬”という最新の治療法で、苦しんで寝込むこともなく、私自身気持ち的には前向きで、ステージ4とか余命2ヵ月から6ヵ月なんて事は全く気にする事なく日々過ごしております。

◆ 2001年 投稿者:コーメイ* 投稿日:2022年11月01日 (火) 21時59分

待望の50万カウントも達成し、2022年も残すところ2カ月を切りました。

2001年10月、「還暦祝い・下部の集い」が盛大に挙行されましたが、それは当掲示板が開設された僅か半月後のことでした。開設を挟んだ半月前のことも忘れられません。

 三五会仲間同志の旅行、ハイキング等は、時々行われていましたが、実はこの時初めて海外旅行が行われたのでした。行く先は、韓国。以後、カンボジア、ラオス、スリランカ、ベトナム、ハンガリー、オーストリア、チェコ等と続きます。

 韓国旅行は、同国での勤務経験のあるhato-ujiさんにコーディネイトして貰い、少人数ではありましたが、釜山とその周辺を、観光しました。

 上の写真は、その参加者です。動画を大写しにし、スマホで撮影したため、不鮮明の段、ご容赦を!(カメラマンは写っていません。)

 中の写真は、愛知県で日本語を勉強したという、現地の美人ガイドさんとのツーショット。余程素敵なことがあったのでしょう。とても嬉しそうです。翌日でしたか、クチビルが腫れるほどの衝撃が待っていました。

 も一つ、メンバーの一人にそっくり!という顔写真が、食事会場の壁に大きく貼られていました。この謎にも、一同、驚嘆というか、何か不思議なものを感じさせられたものでした。

 アジアでは、故坂牧(嘉)さん、東、中欧では、AA 3さんと御子息にもお世話をいただきました。なお、カンボジアは、伊澤(宏)さんの一大事業ですが、便乗させていただきました。いずれも、通常のツアーでは、とても体験できない中味の濃い、充実したもので、その満足度たるや、計り知れないものがありました。

 何せ、チェコでは、「プラハ軍事中央病院」なる格式の高い立派な病院に、2泊3日の入院体験までさせていただきました。

◆ ものすごい雨でした 投稿者:hato-uji 投稿日:2022年07月13日 (水) 17時02分

雨音が激しく、ざーざー降りが長く続きました。幸い私の所は
少し高い所にあるので、道路が冠水する事もなく問題はありませんでした。
皆様にご心配いただきありがとうございました。
鳩山町はテレビの全国ニュース、新聞の一面に名前が出るようになりすっかり有名になりました。 6月には40.1℃を記録し、今回6時間で2か月分の雨、それに住みやすい町日本一でもあります。

◆ 感謝をこめて! 投稿者:コーメイ 投稿日:2022年06月25日 (土) 14時54分

 木器さんには、多くのことを教えていただくなどして、感謝この上もありません。又、三五会やこのボードを通して、色々なことを知ることになり、全くもって有難いことです。

 神さんの家系がどんなものか、自身のそれさえ、不確かですが、時の経過とともに、色々なことが明らかになって行くのでした。「小松帯刀」に関しては、木器さんが、原口泉先生の著書刊行に取り組まれた時より早く、原口先生の御名前は、「幻の宰相 小松帯刀伝」で存じ上げておりました。勿論お会いしたのは、木器さんよりかなり遅れてのことですが。

 自分でも、不思議に思っていることがあります。それは、こじんまりとした店のことで、忘れることの出来ないものが三つあるのです。hato-ujiさんのご母堂は、飯田市通り町で、たばこやお菓子などを販売する、こじんまりとしたお店を開いており、浪人中、アルバイトをして居た頃、昼休みにお邪魔したりして、お茶などご馳走になっておりました。お客さんの相手をされているとき、「コーメイ君、お客さんだに!」といってタバコを買いに来られたお客さんのお相手をさせられたりもしました。自分のような者を身内同然に扱ってくれました。

 二つ目は、鹿児島県の吉利(現日置市)に小松(禰寝)家の墓地を訪れたときのことです。鹿児島市からタクシーで向かったのですが、近く迄きたものの、場所が判らず、タクシーを止め、小さなお店に入り、訪ねたところ、そこに買い物にきていた方が、「一緒に参りましょう。」と案内してくれました。その方は、何と前述の本の著者瀬野富雄さんの息子さんだったのです。一冊しか残っていないけれど差し上げますといって、その本をいただき、以後、小松帯刀顕彰会の代表として研究されたその果実、数冊を送っていただきました。

 もう一つは、沖縄・津堅島に多分一つしかない小さなお店です。島の戦没者慰霊塔から降りてきて目に入ったそのお店に入ると、店主のおばーと島の3人程のおばーが雑談をしており、「何かお捜しですか?」と声をかけられました。この島は「キャロットアイランド」といい、人参が名物で、数か月前、島の92歳のおばーがテレビ出演、人参料理を披露しました。店主は、そのおばーの家なら近いし、丁度今頃おばー達の集まりがある筈ですという。

 そのお宅に向かう道すがら、そこへ急ぎ足で向かう一人のおばーに合いました。話を進める内、戦時下、神さんの父親が所属する部隊の従軍看護師だった方で、170人ほどの兵隊さんの名前は全部覚えた、「禰寝」という名前は難しいので、覚えるのに苦労した、などと話してくれました。父親は沖行く敵艦隊との距離を測定する任務だったが、生き残り7人の内の一人で、親しかった方の書簡から敵の直撃弾で即死、ということが分かっていたので、それならといって、その場所へ案内してくれました。数年前の沖縄戦没者慰霊の日のことでした。

◆ 音楽と振動 投稿者:hato-uji 投稿日:2022年03月22日 (火) 18時24分

木器さん テレビドラマの案内ありがとうございました。
「ファイト・ソング」 見ました。 「しずかちゃんとパパ」 見ています。
「ファイト・ソング」
 私は清原果耶の大フアンです。 彼女の演技が好きなんです。 彼女の話す前のほんのわずかの表情としぐさで、次のセリフの雰囲気が分かります。 エヴェリン・グレニーが言う、『マリンバの演奏でバチを上げた予備動作から音楽が始まっている』 と言う事でしょうか。スピーカーの上に座って、演奏者の体に触れて音楽を聴く。 最高の音楽の聴き方ですね。 
「しずかちゃんとパパ」
 すばらしいドラマですね。 まだ2回ですが全ての場面で感動です。 しずかちゃんが『人の先を読んでしまって』人間関係で悩んでいますが、 幼少の頃からお父さんと手話で通じ合ってきたから、人がしゃべる前の予備の表情やしぐさや場の雰囲気で先が分かってしまうんですね。 それにしても鶴瓶さんの演技がすごいですね。 手話の会話をあれだけ表情豊かに完ぺきにするとは、ものすごい努力をしたと思います。 
音楽演奏会に聴覚障害者を招待して、風船を持って聴いてもらうと言うリサイタルはありますね。 私も考えた事はあるのですが、私のスピーカーは振動を感じる事はできるが、音も鳴ってしまい隣の人にスピーカーの音が聞こえてしまうのでリサイタルには使えません。

今日の朝日新聞に 『心を癒す音楽の力 科学で探りたい』と言う記事がありました。
 さみしい時や苦しい時。 人は、さまざまな音楽に心を癒される。 ただ、音楽がどのようなメカニズムで感情を揺さぶるのかは、まだわからない事が多い。 世界を舞台に活躍する指揮者の西本智美さんは、この難題を解こうとしている。
 科学と音楽を結び付けたいという思いを、20年ほど前から抱いていました。 きっかけはモスクワで講演をした際、聴覚障害がある方が私の楽屋に来られたことです。
 指揮者の動きを見ながら、次にどんな音が出るのかを予想したり、木の座席を通じて伝わってくる振動を感じたりして、楽しんでいる と。 そう手話を交えて教えてくれました。 
 音楽が感性に響くのは、振動の影響があるのだと思うきっかけになりました。

『振動を感じる』 大きな、重要なテーマです。 どこまで出来るかわからないが、せっかく 振動を感じるスピーカーを作ったから、もう少し取り組んでみようかな。

◆ hato-uji さん、見てるかなー? 投稿者:木器 投稿日:2022年03月21日 (月) 10時32分

 このところテレビドラマで、たまたま相次いで、耳の聞こえない人が音楽を聴くことがテーマになった作品を見ました。一つは先日、最終回を迎えた清原果耶主演の『ファイトソング』、もう一つは先週日曜日から始まったNHKBSPの『しずかちゃんとパパ』です。

 hato-uji さんは、聴覚障害者に音楽を聴かせることに関心を持ち、独自のスピーカー開発をして、耳の聞こえないパーカッショニスト、エヴェリン・グレニーと何回か会ってもいますから、この作品を見たらどう感じたろうかと思いました。

『ファイトソング』ではヒロインが、脳の腫瘍のため命と引き換えに聴覚を失います。その手術のまえに、耳の聞こえている間の思い出を作りたいという動機もあって、あるミュージシャンと付き合うようになったのですが、手術の直前、その手術のことや、聴覚を失うことをまったく彼に伝えないまま、彼の前から姿を消してしまいます。
 売れない一発屋だった彼は、彼女との出会いを通じて活路を見出し、素晴らしい曲を作るようになります。しかし、彼女はこの曲を聴くこともできず、住む世界が違うと思い込んで、彼には心を閉ざしていました。

 そして最終回、劇的な結末が待っていました。「私は耳が聞こえないからあなたの声も曲もわからない」と彼を拒否する彼女に、彼はある提案をします。
 彼は彼女を屋上に連れ出し、用意したスピーカーに彼女を座らせます。そして彼の体と彼の弾くギターにも触れながら、彼の演奏が流れ始めます。すると、彼女はそのスピーカーとギターと、そして彼自身の体の振動で、彼の音楽を感じ取っていきます。
 耳が聞こえなくても、全身を耳にして音楽を聴くことができる。
 これぞ、hato-uji さんが、スピーカー開発を通じて願っていたことではなかったでしょうか。

『しずかちゃんとパパ』の笑福亭鶴瓶演じるパパは、生まれつき耳の聞こえない写真館の主人、出張撮影もこなすカメラマンです。ママを早くなくして二人暮らしのしずかちゃんは、日ごろからアルバイトで働く一方、パパの通訳兼秘書兼生活面倒見を務めていました。
 ただ、小学生のときの音楽会で、級友と合唱するしずかちゃんは、写真を撮りに来ていたパパにも歌の内容がわかるようにと、一人だけ手話や踊りを加えて歌を歌い、歌の楽しさをパパに伝えようとしました。

 しかしそれを見ていたパパは、なぜか途中で帰ってしまいました。これはきっとパパを傷つけてしまったと思い、その後は歌が得意で楽しみにしていた町内のカラオケ大会にも、二人とも不参加を繰り返していました。

 そんな中、ふとしたことで知り合った不動産会社の一風変わった青年社員が、彼女とパパをコンサートに誘います。写真撮影を頼まれた小学校の音楽会と重なってしまい、パパはコンサートに来られませんでした。しかし、二人を待つ彼は大きな風船を抱えていました。
 周りの人がいぶかしげに見る中で、演奏が始まると彼は風船を彼女に渡します。風船を受け取った彼女は、そのとき彼の意図をはっきり理解しました。
 演奏される音楽の響きが風船を振動させ、その振動から音楽が持っている手にはっきりと感じられたのです。
 彼はネットで調べたと言っていましたが、本当にそうした記事があるのでしょうか。後で調べてみることにしますが、これまたまさに hato-uji さんの世界ではないでしょうか。
 2作品とももしご覧になっていなかったら、録画してありますからおっしゃってください。

 たまたま偶然ながら同じテーマの作品に出合いました。不思議なことですが、こうした人間本来のやさしさが、今もっとも求められている証しかもしれませんね。

Pass 管理人へのメール
 60周年記念同期会にて  投稿者:ひらいわ  投稿日:2025年08月09日 (土) 07時54分 [返信] No.2911

hato-ujiさんを偲んで……。

Pass 管理人へのメール
 中日新聞記事  投稿者:ひらいわ  投稿日:2025年08月08日 (金) 10時43分 [返信] No.2909


Pass 管理人へのメール
 またも不思議なご縁  投稿者:木器  投稿日:2025年08月08日 (金) 09時51分 [返信] No.2908

 hato-ujiさんの思い出をたどっているとき、突然メールが入りました。
 なんと12年まえに所沢の航空発祥記念館で行われたゼロ戦設計者・堀越二郎さんの回顧展の企画者からでした。
 え? なんでこのタイミングで……と驚きました。

 というのは、この展示会は忘れもしない hato-ujiさんと一緒に、コーメイさん、熊宏さんなどの面々が木器の誘いで来てくれた会だったからです。
 その展示会「堀越二郎の生涯」は大変好評で、その後もいろいろなイベントにつながり、戦後80年の今年の夏も、「時代を翔けた零戦、そしてYS-11」という特別展を同館で8月末まで開催しているそうです。

 この展示会の企画者からのメールは、堀越二郎さんの長男、堀越雅郎さんがテレビ出演されるという連絡でした。
 来週8月11日月曜日の23時からの日テレのニュースZEROで、終戦80周年記念番組の一環として、零戦設計者の長男として雅郎さんがインタビューされるそうです。
 雅郎さんの出演は23時半ごろになるようです。
 最初は断ろうとしたそうですが、父の思い出を語るのも悪くないと思い直して取材を受けることにしたそうです。
 88歳になる身で数時間にわたる取材に「くたくたに疲れた」とのことです。
 インタビュアーは櫻井翔さんのようです。

 そして遅ればせながらと、12年まえに撮ってくれた雅郎さんとのご対面の写真を送ってくれました。横顔ですが、お会いして感じた「お父上そっくり」という印象を、写真を見て改めて思い出しています。
 堀越二郎さんの写真は12年まえの企画を収録したサイトから拝借しましたが、いかがですか。そっくりですよね。
 写真で木器が持っているのが、55年前に編集者としてお手伝いした堀越二郎さんの著書『零戦――その誕生と栄光の記録』です。

 hato-ujiさんは、当然、技術者的関心もあったでしょうから、じつに熱心に展示を見てくれました。それもこれも含めて、いろいろありがとうございました。さようなら。

Pass 管理人へのメール
 たぐいまれな幸せな人  投稿者:木器  投稿日:2025年08月07日 (木) 23時36分 [返信] No.2907

 hato-ujiさんの訃報に接し、残念でたまりません。
 彼が私より早く逝くなど、ありえないように思っていました。
 老年になっても髪はふさふさと黒くて、染めてもいないとのことでしたから、私の中では年を取るということの7不思議の一つでした。

 みんながいつも楽しみに集わせていただいた鳩山町の「音工房」で、我々夫婦ともども泊めていただいたときだったか、うちの女房が「自分の人生はどう終わるのか、ふと考えてしまうことがあるんですよね」とhato-ujiさんに言ったところ、彼は「僕はそんなこと考えたことないなー」と言われました。

 華齢なる合唱団のリーダーとしても、私などとても出せない若々しい歌声を聞かせてくれていました。指揮者としての指導は、あくまでも優しく、しかし目指すところは高くと、容赦なく引っ張ってくれました。
 難曲への挑戦も、普通ならもうダメかと思われるメンバーの仕上がり状態を、何とかなるんじゃない?と、あくまでもプラス思考で励ましてくれました。

 hato-ujiさんといえば、コーメイさんがみごとに書いてくださったように、その技術者魂というよりお人柄の現われのような、優しい音色のスピーカー開発を抜きには語れません。
 在京飯田高校同窓会の会誌『稲穂』の第19号(2022/10/1刊)に hato-ujiさんが書かれたエッセイ「独自のスピーカーを制作して楽しんでいます」が載っていて、そこにこの研究に打ち込んだきっかけが書かれています。
https://iikou-d.jp/affiliate/tokyo...

 そのきっかけこそ、いかにも hato-ujiさんらしさの象徴、hatoーujiさんならではのものと思いました。それはまったく耳の聞こえない打楽器奏者、エヴェリン・グレニーを知ったことからだったといいます。
 彼女は、すべての音の振動を体で感じて演奏している、ならば振動を感じるスピーカーを作れば聴覚障害者にも音楽が楽しめるのではないか、そうひらめいたのだそうです。
 
 そしてじつは、このエッセーの何年もまえに、hato-ujiさんはエヴェリン・グレニーとの出会いを、当掲示板に投稿してくれていました。
 覚えていっしゃる人もいると思いますが、懐かしさのあまり再録したくなってしまいました。hato-ujiさんの肉声が聞こえてくるような気がして、ちょっと長くなりますが彼を偲ぶ意味でお付き合いください。

 ――「It's amazing!」
 スピーカーに手を触れていてしばらくして、エヴェリン・グレニーの口から出た言葉だった。ついに「木の箱が鳴るスピーカー」をエヴェリン・グレニーに聴いてもらえた。

 サイン会をやっている間にロビーに小さいスピーカーを一個用意しておいて「三分聴いてください」とお願いし、エヴェリンのCDを聴いてもらった。

「リズムが正確に、クリアーに伝わってくる」
「普通のスピーカーはフィルターに掛けたようだが、これはダイレクトにクリアーに音が伝わってくる」
「普通の人が音楽を聴くスピーカーとしてもいいのではないか、ほかの人にも聴いてもらいましたか」
「普通のボディソニックは長く聴いていると船酔いのようになり疲れるが、これは長く聴いていられる。これのほうがよい」
「イギリスの友達にも聴かせたい」
「今回は時間がなくてゆっくり聴いていられないが、次には聴く機会を持ちましょう」

 以上、娘に聞き取ってもらったエヴェリン・グレニーの言葉である。

「これをイギリスに送るからもっと聴いてください」と言ったら承知してくれた。
 そんなわけで、これからも彼女とのつながりが続けていけるようになったのはうれしい。
 今回の目的は「このスピーカーの可能性」を知りたいということだった。
 ①このスピーカーで彼女がCDの音楽を聴くことができるか?(彼女は楽器の音など直接的な音は体全体を使って聞き取れるが、普通のスピーカーではビートや振動は分かっても音楽として聞き取れない)、
 ②このスピーカーを、耳の聞こえない子どもの音楽教育に使うことができるか。(耳が聞こえない子どもは、なるべく早い機会から音楽に接すべきだ、と言っている)、
 ③このスピーカーを通して、彼女が電話で会話ができるようになるか。(今は、相手からの電話の声は聞き取れないので、通訳者を必要としている)

 ①と②は、今回のエヴェリンの反応から見ると可能性があると言える。③は人の声を聞き分けられるほど、このスピーカーの感度がよいかどうかは疑問だが、達成できたらこれはものすごいことだ。
 結局三十分以上聴いたり、話したりしたが、その間に二回も彼女のほうから握手をしてくれた。これはうれしかった。

 ひとつおまけがあった。帰りがけに一人の女性が近づいてきて、「向こうで聴いていたのですが、まるで会場内で演奏を聴いているようでした。私のトロント大学の先生で人工内耳を研究している教授がいます。あなたのことを紹介してもいいですか」。
 北海道大学心理システム科学講座准教授だった。何だかいろいろに発展するかも知れない。――

 hato-ujiさんは、この思いをずっと持ち続けて、彼自身の評価ではどの程度まで実現できていたのか、木器にはわかりません。
 でも、会うたびに少年のように目を輝かせて、スピーカーのこと、音楽のこと、コーラスのことを語っていた彼は、ピアニストだった奥様との出会いのエピソードから、素晴らしいお子様たちのことのすべてを含め、本当に幸せな人だった、その幸せ度はたぐいまれなものがある、そのことに間違いはないと思います。
 今は、そう思ってご冥福をお祈りします。

Pass 管理人へのメール
 hato-ujiさん、安らかに  投稿者:コーメイ  投稿日:2025年08月07日 (木) 16時21分 [返信] No.2906

 訃報に接した時、まず頭に浮かんだのは、奥様のことでした。入院中の奥様のことを思い、自分がいる鳩山町の施設に呼び、同室で過ごすようにしていたそうです。
 奥様が天命を全うするのを見届け、ご自身はその翌日、奥様の元へと旅立ちました。

 普段からご夫婦仲の良さは、どなたも認めるところではありましたが、この度のことは、ただただ稀有といって片付けられるものではありません。お二人なればこその天の采配なだと思います。
 
 御会葬御礼には、3人の子供さんとの心温まる日常が、開発されたスピーカーの響きのように、清く、澄んだ、愛情に満ちた日常を垣間見ることが出来ます。

 中学1年の時がお付き合いのスタートですが、前にも書きましたが、喧嘩をしたり、怒ったりしたことは一度もありません。皆で仲よく、楽しく、愉快に、が底辺にあって、そこから紡ぎだされるのは、平凡でありながら、実に当を得たものでした。

 加えて、彼には、一つの出会い、体験等が、無限の広がりに発展するプログラムのようなものが内蔵されていました。「共鳴スピーカー」の発想から今日迄の経緯を辿ると、あの時の邂逅が、あの時の見聞が、あの時の情勢が……、そのあゆみを新たな方向へ誘導するのです。彼に与えられた羨ましいばかりの資質とでもいえましょう。

 もっとお会いして、楽しい時間を過ごしたかった。梅雨が明け、猛暑が収まり、秋の清々しい風を身に感じつつ、是非又お会いしたかった。残念でなりません。
 どうぞ、そちらでも、奥様共々、仲睦まじく、そして、ゆっくりお休みください。

 ご冥福を心よりお祈りいたします。

Pass 管理人へのメール
 訃報  投稿者:コーメイ  投稿日:2025年08月07日 (木) 14時54分 [返信] No.2905

 氏原孝志さんにおかれては、去る8月3日急逝されました。
 葬儀は、8月7日、執り行われました。

以下は、ご遺族のメッセージ(下の写し)です。


       御 会 葬 御 礼     氏 原 家

本日はご多用の中ご会葬いただき、誠に有難うございます。
父 氏原 孝志 は、令和七年八月三日、行年八十三歳にて
母 氏原  都 は、令和七年八月二日、行年七十六歳にて
その生涯に幕をおろしました。
子供の頃の記憶の中の父は、仕事人間の生真面目な人という印象
でした。仕事中心の父と、家の事を全てやりながらピアノの先生を
したり地域のボランティアをしたりして地元を飛び回っている母。
二人は毎週末一緒にテニスをするような仲がよい夫婦であり、
そんな二人が私たち子供三人を育ててくれました。
子育てが一段落したあと、父は自作のスピーカーに情熱を傾け、
研究をする為の「音工房」を設立して没頭し、満面の笑みで「新しい
方法を思いついたんだ。」と目を輝かせている少年のようなじいじに
なっていました。
母は相変わらず地域の方々のボランティアで日にいくつもの
予定を入れて飛び回りながら、私たちが帰省すると孫と遊びこんな

面白い事をした!」とケラケラ笑いながら付き合ってくれ、相変わらず
なんだか自分のことより人の事をしているばぁばになっていました。
自慢の両親が一度に旅立った寂しさは大きいですが、父が母を
母が父を、こんなにも思い遣り合っていた事に感謝しかありません。
最後になりましたが、生前両親と心通わせ、支えてくださった
皆様へ、賜りました多大なるご厚情に深く感謝を申し上げます。
略儀ながら書状をもって謹んでお礼申し上げます。
  令和七年八月七日
          埼玉県比企郡鳩山町松ケ丘一―六―十二
              喪   主  氏 原  剛 志
                外    親 戚  一 同

尚本日は何かと混雑に取り紛れ不行き届きの段あしからず
ご容赦下さいますようお願い申し上げます。


Pass 管理人へのメール
 南信州新聞記事  投稿者:ひらいわ  投稿日:2025年08月06日 (水) 11時20分 [返信] No.2904



Pass 管理人へのメール
 中日新聞記事  投稿者:ひらいわ  投稿日:2025年08月06日 (水) 11時10分 [返信] No.2903






Pass 管理人へのメール


Number
Pass
管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板