今日、一週間まえに見逃していた新聞歌壇を見て、ふと懐かしくなりネットで地名検索をしたら、なんと60年前の学生時代に4年間住んだ建物と思しき写真に出くわしました。
驚愕としか言えません。京都の学生時代の「京学」の幻を見るがごとき驚愕です。
まずはその歌ですが、これです。
*さるすべり咲く故郷(ふるさと)に『五番町夕霧楼』の夕子を思う(東京都 影山博)
【評】水上勉の名作。映画にもなった。夕子はその主人公。さるすべりとの取り合わせが意外性あって、よい。小池光選。
水上勉の小説も映画化されたものも、見た記憶があります。
とにかくこの五番町というのが、京都時代に下宿していた界隈にあった地名。下宿は、仁和寺街道七本松東入ル、北野二番町で、五番町は目と鼻の先でした。
ぞの下宿から、東西に走る仁和寺街道を東に100メートルほどで、昔の朱雀大路にあたる千本通に出ます。出るすこし手前に五番町がありました。
当時から、ああ、ここに遊郭があったんだなー、夕子と修行僧が会ったんだなーと、思いをはせ、そのわずかな名残りともいえるスナックや飲み屋によく通いました。
最近はどうなっているんだろうかと、ネット検索した結果、よく検証された見事なサイト、
「ぬけられました――遊里の痕跡」
https://nukeraremashita.com/archives/1727... 京都 五番町遊郭(2018年4月2日)
で目にしたのが下の写真です。
目にしたとたんピンときました。元うなぎ問屋の使用人たちが宿舎にしていたという洋館建ての立派な建物に、和風の門が付いた変わった建物でしたから、違うはずはありません。これです!
この見えている洋風の部屋に、やはり私と同じ学部の信州松本出身の友人が住み、私は写真では見えていない和室を借りていました。
驚きのあまり、サイトの主さんに感謝しながら、写真を拝借します。
だいぶ前、20年まえくらいに仕事で京都に行ったとき、ちょっとだけ立ち寄ったことはありましたが、この記事の日付が2018年ですから、まだ7年ほどしかたっていません。
きっと、まだそのままあるんでしょうねー、ほんと懐かしい驚きです。
グーグル・マップで見てみたら、やはり下のようにちゃんと残っていました。手前の車止めのポールが立っている細い路地を入って、右側に勝手口があり、そこから出入りしていました。
ずっと向こうまで続くまっすぐな道が、仁和寺街道です。この逆方向、後ろ側に五番町がありました。