No.2343 農業立国の知恵ー5 投稿者:木器 投稿日:2024年12月21日 (土) 14時05分 [ 返信] |
この本では、このほか小泉先生の専門である発酵食品を中心に、これからの農業立国について数多くの提言をされ、我々の日々の食生活へのアドバイスもされています。
最後に一つ、この本で非常に印象に残るお話がありました。
それは、別の投稿でもちょっと触れたことですが、「農業を一生懸命やれば戦争がなくなる」という考え方です。 これは小泉先生が、その言葉を言っているわけではないのですが、私が勝手に先生の父親のエピソードから感じたことなのです。
そのエピソードを要約しながら引用すると……。
太平洋戦争のとき、小泉先生の父親は軍人でした。 会津若松に、両角部隊という有名な戦闘隊があったのですが、父親はそこの偉い人だったそうです。
家は酒屋でしたが、父親は学校を出て酒屋に戻ってきた途端に、赤紙が来て兵隊に行ってしまいました。 そしてすぐに偉くなり、部下を率いて中国の雲南省から国境を越えて、ビルマ(今のミャンマー)に入りました。そこで日本の母に手紙を書き、米と大豆を戦地に一俵ずつ送らせました。
父親は食いしん坊だったので、その米で苗を作り、ミャンマーの山の中で部下と田んぼで稲を育てます。畦道に大豆を蒔いて……。 すると田んぼにはご飯のもと、畦道には味噌汁のもとができます。 つまり部下たちに戦争をさせないで、米を作り大豆を作り、ご飯とみそ汁で命をつなぎながら、ミャンマーの農家に、米がいっぱいとれる方法を教えたといいます。
父親に率いられたこの部隊は、戦争に行ったのか、農業をするために行ったのかわからないようなことをやっていたというのですから、見つかったら軍法会議ものだったろうと言われます。 このことは、戦後、帰還したこの部隊の兵隊が書いた作文集の中に出ています。
「小泉隊長はものすごい人だった。戦争に行ったのに戦わないで農業をさせてくれた。おかげで我々は飢えなかったし、戦争の恐怖を知らなかった。ミャンマーの人たちに日本式の農業も教えることができた」
先生に物心がつく、小学校の2年生くらいのとき、父が「おまえ日本人になりきって生きろよ。日本人になりきって育てよ」と言うのです。 「日本人になりきって生きろ」と言われても、何をすればいいのかよく分からなかった小泉少年は、食べることが好きだから、「おれは日本食以外は食べない」と言って、ずっと和食を食べてきたそうです。
あの戦争中に本当にこんなことがありえたのか、「おとぎ話」のようにも思えますが、もしかしたらここには意外な真実が、それも世界中の知恵者も忘れていた人間の生命維持の原則に基づく、大いなる知恵が秘められているのではないかと思ったのです。
つまり、人類はもっと農業に一生懸命になれば、生き残りをかけた紛争や戦争を止められるのではないか。 平和な農業に打ち込んで生きる道を探せば、戦争などやらずに済む、いや戦争などやっていられなくなる、そんな「おとぎ話」のようなことは、期待しても無駄なのでしょうか。
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