No.2332 中日新聞記事 2 投稿者:コーメイ 投稿日:2024年12月17日 (火) 21時32分 [ 返信] |
飯田西中学校の話題は一先ずおかせていただいて、小生、この航空写真を特別な思いで拝見しました。
写真では、西中校舎の後ろに幾つかの緑色の屋根が並んでいますが、これは、県営住宅で、高校時代、我らG組担任の高野 進先生が住まわれておりました。その一番山側の緑屋根の建物近くに電柱がみえますが、更にその右側にある電柱の所は、空地になっていて、よく見ると、白い乗用車が駐車しています。ここが我が住家のあった場所です。母親の死後、近所の方にお譲りしました。
ここへ来る前は、箕瀬で、東中に通っていましたが、三年の5月、就学旅行は、箕瀬から出、帰ったのは、ここ滝ノ沢でした。旅行中に引越していたのです。
西中グランドと浄水場の間の急な坂道を下り、左折して、白山神社前を通り、今宮を通過して、東中へ自転車で通いました。すぐ近くに西中があるのに、何故転校しなかったか、そのあたりの事情は、よく判りません。 飯田高校へも自転車通学でしたが、この時は、砂払い経由、市内を通過して上郷へと通いました。
浪人中、三六災で、風越山が崩れるという噂がたち、箕瀬の親戚に避難しましたが、床下浸水はしたものの、大事に至らずすみました。その10月、父親が亡くなり、母親、弟、妹を残し、単身上京し、伯父の家に居候したのが、19歳のときでした。
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