No.2065 また偶然の発見 投稿者:木器 投稿日:2024年09月04日 (水) 11時22分 [ 返信] |
『藤沢周平句集』の中で、もう一つ見逃せない発見がありました。 それはやはりエッセイ「稀有の俳句世界」(「俳句」昭和六〇年四月号)の中で書かれていることですが、俳誌「海坂」を百合山羽公と並んで主宰していた相生垣瓜人(あいおいがきこじん)について書かれているところでした。
私はこの名に見覚えがありました。 以前、生意気にも60代後半で書いた『男の嗜み』という本の中で、酒の章の最初に、「酒ならばたしなむと言へ鱧(はも)の皮」(吉田汀史)という俳句を挙げたあと、さらに呑兵衛が好きそうな俳句として二つ挙げた句の一つが、この相生垣瓜人の作だったのです。その二つとは、
牡蠣(かき)よりも海鼠(なまこ)の黙(もだ)ぞ深からむ(相生垣瓜人) 白魚(しらうお)にあはせて燗(かん)をぬるうせよ(丸谷才一)
とくにこの瓜人の句は、いつも何の気なしにうまいうまいと食べている牡蠣や海鼠が、急に違って見えてきます。彼らのその何も言わない沈黙が妙に気高くさえ見えてきて、むしろわれわれ人間の饒舌が軽薄に感じられてきそうです。
などと思ってこの句を挙げたのですが、藤沢氏の選んだ瓜人の句の中にも、呑兵衛向きのものがありました。
荒海の秋刀魚を焼けば火も荒ぶ
まあ、藤沢氏はこれは佳句ではあるがほかの人でも作れる句の部類に入るのではないかと言い、むしろ次のような句に瓜人の独自性を認めています。
其処此処に冬が屯しはじめけり 葭切のいふところをも聴かむとす 油より濃き西日なり入り来る 隙間風その数条を熟知せり 聞き耳を立てしか秋の声ならず 梅雨といへど鈍き火花を散らすなり
以下、藤沢氏の言葉です。
「その稀有な俳句世界というものを、独断を承知でひとつかみに言うと、それは感性鋭い詩人であられる瓜人先生と自然との交歓の世界ということになるだろうか」
そして、「其処此処に冬が屯しはじめけり」を例にとり、 「瓜人先生の眼は窪地の枯草の上にひとかたまりに居据っている冬、葉の落ちつくした裸木の梢にやはりひとかたまりにとどまっている冬を凝然と見つめているのだが、見られている冬も物言わず、見ている先生も無言でいながら、そこには先生と自然とのひとをまじえない対話がかわされている様子が見えて来るのである」 と言います。
なるほど、ここにも沈黙が、無言の自然との対話が出てきます。「自然との交歓の世界」とは、牡蠣や海鼠の沈黙に心を通わせるような、まさに自然との深い物言わぬ対話なのだなあと感じ入った次第です。
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