むかし「小指の思い出」というかわいらしい歌がはやりました。
その思い出と並べては畏れ多いとは思いながら、どうしても紹介したい「指の記憶」の記事をネットで見つけ、筆者に連絡を取りました。
それがほかならぬ、「蝶の胸」に関するものだったのです。
幸いご厚意あふれるお返事をいただき、引用のお許しを得ましたので、以下、ご紹介します。
筆者は、千葉県在住の蝶とカメラを愛する男性です。「蝶のいる風景」と題されたホームページの「オキナワカラスアゲハ」の項にその文章はありました。
要約させていただこうと思ったのですが、その思いがより正確に伝わるよう、やはりほぼ原文のままにします。もちろんホームページをご覧いただくのが、素晴らしい写真もありベストなので、このページをご覧ください。
https://farfalla77.sakura.ne.jp/japan/ageha...(以下引用)
――ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう 折笠美秋
新聞記者だった折笠は筋萎縮性側索硬化症という難病にかかり、歩行
が出来なくなった。声も出せなくなり、闘病を続けながら句作をした。
夏の初め、ぼくは突然ガンの宣告を受けた。進行性で、リンパ節への転
移の危険性もあるということだった。
余命は後どのくらいあるのだろうか。とにかく前向きに生きていくしかな
いと思った。
出来るだけ蝶たちとの出会いを楽しみたい。体をなるべく回復させて、
まず、春のギフチョウからだ。
そう思いながら沖縄・久米島で静養した。
退院から1か月半だった。
息子からは「まだ、無理だよ」と止められたが、妻と二人旅立った。
林道をゆっくり歩いているとオキナワカラスアゲハと出会った。
この時期あまり数は多くないようだったが、うれしい出会いだった。
(2017年4月12日 沖縄県名護市)
僕が参加している句会が4月8日に深川の小料理屋であった。
(中略)
今回の兼題は「手」。
僕の投稿した5句のうち「手に残る 蝶の命の果てる時」が天になった。
昔蝶の採集をしていた頃、捕虫網で捕まえた蝶の胸を押して殺す。そ
れを得意そうに三角紙に入れる。その時の指の感触は今も残ってい
る。アゲハやオオムラサキなどは蝶の胸をぎゅっと押しても、なかなか
死んではくれない。ある時はドキッ、ドキッという鼓動まで伝わって来た。
その思いを詠んだものだ。――(以上引用)
そして、いただいたメールにまた感銘を受けました。以下、メールの引用です。
――子供の頃から蝶の趣味を持っていました。
採集が中心で標本箱に新しい蝶が増えるのが楽しみでした。
年齢を重ね私も妻もがんを患い、母の介護を9年続け、
その中で命というものを考えるようになったのでしょうか。
ある時採集した蝶の胸を押すと、ドキドキと心臓の鼓動のようなものが
指先に伝わって来てハッとしました。
それ以来蝶を捕まえることが出来なくなりました。
殺した蝶の胸に虫ピンを刺し標本を作ることも出来なくなりました。
今は採集ではなく写真を楽しんでいます。
HPは更新が滞り、今はブログ「蝶のいる風景」を続けております。
HPもブログも本名は出しておりません。
句会では「赤蝶」として投句しています。――(引用終わり)
赤蝶さん、突然のぶしつけなお願いに応えていただき、本当にありがとうございます。
「手に残る 蝶の命の果てる時 赤蝶」
この一句は、宝物のように大事にこれからも折あるごと思い出し、私自身の失われかけていた指の記憶とともに、多くの人にお伝えしていきたいと思います。