No.1979 70年まえの感触 投稿者:木器 投稿日:2024年07月23日 (火) 13時27分 [ 返信] |
今週の新聞歌壇・俳壇を見ていて、どきりとした一句がありました。
*ときめきて烏揚羽の胸を押す(東京都 野上卓、矢島渚男選)
最初は何のことかわからなかったのですが、子どものころ昆虫採集をして蝶々やトンボを捕まえたとき、標本にするために、バタバタする虫のきれいな羽根を傷めないよう、羽を広げてその真ん中の胸の部分を親指と人差し指でぐっと押しつぶす、そのことだと思いついてどきりとしたのです。
たいていの虫は、それで息絶えて静かになりましたが、大きいアゲハなどになると、なかなか死なないで、押した指に何かうごめくものを感じる、それがまさに虫の命のうごめきのようで、ドキドキしました。
その感覚はもう70年も前のもので、この長い年月の間、おそらく一度も思い出したことはなかったでしょう。それがこの一句によって、まざまざと指の感覚に戻ってきたのです。
標本のためとはいえ……、と思っていたら、ときどき見る『増殖する俳句歳時記』のサイトで、次の句を見つけました。
*標本へ夏蝶は水抜かれゆく(佐藤文香)
この句の解説をしている土肥あき子は、やはりこの句がきっかけで、蝶の採取と収集の方法を知ったこと、そしてそこにはごく淡々と「蝶を採取したら網の中で人差し指と親指で蝶の胸を持ち、強く押すとすぐ死にます」とあり、続いて「基本的に昆虫類の標本は薬品処理する必要がありません。日陰で乾かせばすぐにできあがります」と書かれていたことを挙げています。
ま、こんなことをいいながら、日ごろ家でゴキブリを見つければスリッパで叩き潰し、ブーンと蚊が来れば手の平でつぶさずにはいられないのですから、「虫も殺さぬ顔をして」などともまた程遠いところで、人間の一面としてこうした繊細な俳句の世界があるということなのでしょうね。
いろいろ言っても、とにかくゴキブリをつぶす執念も、蝶の胸をつぶす戦(おのの)きのどちらも、人間として現実なのでしょうから……。
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