駄科の弟から連絡があり、36災害のあと保管してくれていた昔のレコードを物置から出して写真に撮ってくれたそうです。
驚きー!!こんなのが残っていた、保管してくれていたなんてと思いますが、以前にも処分する前にと、プレーヤーで再生し録音テープに残してくれたこともありました。
まったく私的なことですが、すごい! この汚れたレコードに聞き入った日々をまざまざと思い出します。
すぐ思い出せた「ウイリアムテル序曲」「愛馬進軍歌」のほかにも、こんなものが残っていました。
五木子守歌、ひえつき節、夕日は落ちて、別れ来て、龍峡小唄、木曾節、思ひ出のパレホ、上海の花売り娘、みかんの花咲く丘、繭増産音頭、もっと飼ひませうお蠶さん、狸ばやし、狸の小僧さん、狸をどり、花咲爺、一寸法師……。
全然覚えていないのが、松山映子の「思ひ出のパレホ」。伊藤久雄の「別れ来て」もよく覚えていません。
何より驚いたのは、あれほどよく聞いた「ウイリアムテル序曲」の指揮者です。当時はまったく気にも留めなかったから、仕方ないでしょうが、姉たちや親は知っていたのでしょうか。
アルバート・ケテルビー、あの有名なエキゾチックな名曲「ペルシャの市場にて」の作曲者ですよね。これ、
https://youtu.be/Rnb2J... いずれにしても水害で泥だらけになったレコードを、よくぞ今まで取っておいてくれたと、弟には頭が下がります。