No.1407 「見返り柳」とAI 投稿者:木器 投稿日:2023年09月11日 (月) 16時33分 [ 返信] |
おたぐりさんの風流な散歩に刺激されて、吉原の「見返り柳」にまつわる川柳を読んでいたら、ちょっと意味のわからないところがあり、Microsoft Bing に聞いてみました。 このAIさん、けっこう粋筋のこともおわかりのようで驚きましたが、「あれれ? そうかなー?」と思うところもありました。みなさんはいかがですか?
「了簡はもふ見かへりもせぬ柳」 この川柳は、「見返り柳」という遊郭の近くにある柳の木について詠んだものです。見返り柳とは、客が帰るときに見返す柳の木のことで、別れの寂しさや哀愁を表しています。「了簡はもふ」というのは、了解はもうないという意味で、客と遊女の関係が終わったことを示しています。見かへりもせぬというのは、見返すこともなくという意味で、客が遊女に対して無関心であることを示しています。この川柳は、遊郭の世界の厳しさや悲哀を感じさせる一句です。
「見かぎりの柳とわびる朝帰り」 この川柳も、見返り柳について詠んだものです。見かぎりの柳とは、見限りの柳とも言い、客が遊女と別れるときに見る最後の柳のことです。わびるというのは、別れを惜しむという意味で、客が遊女に対して愛情や情けを持っていることを示しています。朝帰りというのは、夜通し遊んだあとに朝方に帰ることです。この川柳は、遊郭の世界の切なさや美しさを感じさせる一句です。
「見返れば 意見か柳 顔を打ち」 この川柳も、見返り柳について詠んだものです。見返ればというのは、客が遊郭を出て振り返るという意味です。意見か柳というのは、柳の木が客に対して何か言いたげに見えるという意味です。意見というのは、批判や非難のことで、客が遊郭に入ることを咎める声のように感じられるということです。顔を打ちというのは、顔を叩くという意味で、客が恥じ入るということです。この川柳は、遊郭の世界の罪悪感や後悔を感じさせる一句です。
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