No.1280 AAさんの思い出 5 投稿者:木器 投稿日:2023年07月12日 (水) 07時46分 [ 返信] |
AAさんの思い出の中で大きなものの一つは、やはり愛息のピアニスト、英仁さんをめぐるものです。欧州留学を終えて帰朝した英仁さんが、着々と回を重ねるリサイタルを通じてその修行の成果を見せてくれたことは、我々の仲間をはじめ多くの彼のファンの知るところでしょう。
何回もリサイタルに伺いながら、聴衆を迎える両親のうれしそうな顔、とりわけ演奏者自身よりも服装にまで念を入れて高揚感に身を浸しているような父、AAさんの表情が忘れられません。 「どんな音楽を聞かせてくれるのか」と身構えるいとまもなく、知らぬ間に安心して身をゆだねることができる英仁さんの音楽を聴きながら、じんわりの私の胸に湧き上がってくるのは、この素晴らしい音楽の誕生に、ほんのわずかながら関わらせていただいたかもしれないという密かな喜びでした。
あれは多分、英仁さんが高校生になったころだったでしょうか。音楽の道に進みたいとご自分で決意され、留学の準備をされていたころだったと思います。 同じころ私も、娘がクラシックギターの道を歩み始めており、演奏会のたびにビデオ撮影をしていました。そのことをAAさんに何かの折に話したのでしょうか、英仁さんの留学に必要な演奏ビデオの撮影を依頼されたのです。 その撮影場所を説明されて驚きました。当時、「ウィーンの三羽烏」としてパウル・バドゥラ・スコダ、フリードリッヒ・グルダとともに名声を馳せて久しい名ピアニスト、イェルク・デームスが日本での拠点にしているという世田谷の住宅風スタジオだったのです。
聞けばこの巨匠デームスの指導も受けることになるということで、すでに英仁さんのレベルは世界の水準に達しようとしているのを感じました。撮影者として緊張しながら、それでも将来性ある初々しいピアニストの誕生にすこしでも関われるという喜びに打ち震え、少年英仁さんの演奏を繰り返し聞く幸運に浴しました。 まさに思い出の中の白眉、宝物と言える経験でした。
英仁さんにまつわるもう一つ宝物級の思い出は、石神井のAAさん邸でのホームコンサートです。あのようなアットホームなコンサートはなかなかできないと思います。 まえにも書きましたが、娘の師匠であるクラシックギターの小原聖子さんのところで、一時期、頻繁にホームコンサートが開かれ、二次会の飲み会や弾き比べ会も含めて、それはそれは楽しい催しだったことも思い出します。
AA邸でのコンサートは、まさに英仁さんのひざ元のかぶりつきで、楽器の振動がそのまま体に響くような感動の時間でした。しかも、AA夫人ご自慢のダッチオーブンによるよだれ噴出料理も、今思い出すだけでまたよだれが噴出します。 そんなこんなで、木器の心をうきうきと万年青年のような楽しさに満たしてくれたのも、AAさんでした。
音楽と言えばカラオケの席でも、優れたピアニストの父としてお高く留まることなく、得意曲『目ン無い千鳥』を歌ってくれましたし、木器がいつも所望する『白いブランコ』のデュエットに応じてくれました。内緒ですが、この「白い」を「黒い」に変えたけしからぬ替え歌もあって、そのさわりを二人でちょっとだけやったこともあります。AAさんバラして勘弁。
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