No.1278 AAさんの思い出 4 投稿者:木器 投稿日:2023年07月11日 (火) 09時14分 [ 返信] |
AAさんの小説から何を学ぶかは、読み手の素養が問われるので、残念ながら木器としてはあまり大きな顔はできません。でもあるとき、理解を超えたストーリーの中に、ふと目をくぎ付けにする一節がありました。『くぬぎ越え』(『夏風越し』の続々編)の前半部分です。
――「民」という字の語源は、目を針でさす様を描いたものであり、目を針で突いて目を見えなくした奴隷を表している。後には目を見えなくし分別を出来にくくすること、支配下におかれる人々という意味で派生したのが「民」という字であることを思えば、情報を極力与えない、内容をわかりにくくして煙に巻く、という裏の意味があることになる。説話と雖も表面通りに解釈はしきれない。――
これはほんの一例で、全編にちりばめられた含蓄深い警句に、脳細胞を刺激される人は多いのではないでしょうか。木器自身は、まだ全編を読みぬくには至っておらず、生前のAAさんとこの小説群について、じっくり話せなかったのは返す返すも残念です。
AAさんの遺された貴重なものは、長期間にわたるブログや掲示板への膨大な量の書き込みと、こうした小説作品といった著作物のほかに、もっと周囲の人間に影響を与えた人づきあいと人育てがあると思います。 コーメイさんが書いておられた山歩きもその一つでしょうが、木器はすぐハーハーゼーゼーの山アレルギーなので、AAさんとの高い山歩きは経験していません。
しかし、コーメイさんが挙げている屋久島での経験は、ちょっと木器にとっては勲章ものでしょう。じつはこのとき木器は、AAさんとは別動隊で宮之浦岳ではなく縄文杉に挑戦していたのです。 前日に往復で10時間近くかかると聞いて、あ、もうこれはパス、パスと決めていたところ、女性軍が縄文杉に登るというではありませんか。AAさんやコーメイさんたちはすでに、もっと高い宮之浦岳に決めていましたから、いくら山弱者の木器もパスパスとは言っていられなくなりました。
結果は何とかひどい雨の中、たしかに往復10時間の難行苦行をはたして宿に帰着したのですが、その後がいけません。ちょっと休んだら、かえって足が硬直して歩けなくなりました。 暖かい風呂につかるといいと言われて、階段を下ろうとしたのですが、足がつってしまいなかなか動きません。
そこに現れたのがAAさんでした。「こちとら縄文杉でこの体たらく。もっと高い山に行ってきたんだから、すごいよー君らは」と、木器がもう尊敬のまなざしでAAさんを見上げたところ、「なにをおっしゃるうさぎさん。こっちもこっちにいけなくてさー」と、よく見ると階段の手すりにつかまって、なかなか目的地の風呂に近づけないようでした。 そっかそっか、行きたいところへ行けないんだよね、なかなか、と二人で笑ったのですが、これってもしかしたら、AAさんが木器に調子を合わせてくれていたんではないか、とあとで思いました。そういう優しいところがAAさんにはあるからです。
わが女房が初期の胃がん手術を受け、退院したときは、AAさんご夫妻がコーメイさんご夫妻と一緒に退院祝いをしてくださり、小田急沿線・千歳船橋のレストランで、木器さんたちはいいからと、豪華なランチをご馳走してくれました。このことは女房のかけがえのない思い出になっているようで、何度もうれしかったと話しています。
|
|