No.463 座光寺家 投稿者:木器 投稿日:2022年07月22日 (金) 15時06分 [ 返信] |
待ち遠しかったこうのさんの、飯田弁による座光寺家のおはなし。地元でねんごろな関係でおありたようだなも。近くに家老だった片桐家もあるようですし……。 わが同期にも同家出身のおひいさまがいることもあり、平岩さんから興味深い話をお聞きしました。
なんでも座光寺家の祖先は、例の岩村城の女城主が武田に攻められたとき、武田勢に加わっていたという話があるようですね。 女城主は信長の叔母でありながら、織田の援軍がないまま武田方の武将・秋山信友と結婚して城と城兵・領民を守った後、結局、織田勢に攻められて落城、磔にされたとされています。 今に続く座光寺家の主流は初代・山吹陣屋の主・座光寺為時らしいですが、その父・為清が岩村城の戦いのとき武田方に与していて、そこで逃れようとしたのですが捉えられ処刑されたとか。
ただ、座光寺家はその後、徳川に仕えますが、為清の代からだったと書かれているものもありましたから、だとすると岩村城では死ななかったことになります。 代々名まえに「為」が付くのは、鎮西八郎為朝の子、大嶋二郎為家が伊豆大島から信州に入り、下条から座光寺村に移って座光寺氏を称したと、Wikipediaにありましたが、その「為」つながりでしょうか。
大河ドラマ『おんな城主 直虎』のとき話題になった松岡氏とは、よく知られた因縁話がありますね。 もともと松岡氏も徳川についていたのですが、松本の小笠原貞慶が豊臣側に寝返って高遠攻めをしたとき、これに同調して徳川に反しました。これを座光寺為時が徳川に訴えたため、松岡は捉えられて井伊直政に預けられます。 直政にとって松岡は、まさに大河ドラマで話題になったように、父・直親をかくまってくれた恩人でもありますから、何とかしたかったでしょうが、結局、松岡はこれで改易されてしまいました。
そんなこんな、地元出身でもあり歴史研究家でもある terra さんに解題していただくといろいろよくわかると思うのですが……。お願いできませんか?
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