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今日の誕生花――11月13日 レモンバーベナ


今日の誕生花――11月14日 サフラン



写真:「紅葉の季節へ」(平岩祥平)

野底森林公園の紅葉(下2枚はビデオより)






鳩ケ峰八幡宮・奉納大菊花展




風越山・山頂付近は紅葉の様子(11/08am)
上郷・上黒田地籍(中央自動車道・付近)
・・・この付近は、クマが出没する地籍です。(10月に捕獲された)


次郎柿・今年は豊作(松尾・明地区)


南アルプス・仙丈ヶ岳が雪化粧(11/04・水神橋で撮影)


下久堅・ビューポイント(柿の沢地籍)で撮影。
摺鉢山(2265m)にも雪が来ました。




天竜川付近の夕暮れ



◆11~12月の壁紙カレンダー◆

(このカレンダーをPCのデスクトップ壁紙として使うには画面を右クリック、
「名前を付けて画像を保存」を選んでPCの任意の場所に保存し、
保存されたファイルをまた右クリックして「デスクトップの背景として設定」をクリックする)

♪「八十路のデュエット」――ル・クプル・コーノ
♪クシコスポスト、♪トルコマーチ、♪荒城の月
♪「八十路のデュエット」2――ル・クプル・コーノ
♪ムーン・リバー、♪埴生の宿、♪旅愁
(上の下線部分をクリックしてください)

◆「日本最大の谷」=2大アルプスに挟まれた「伊那谷」◆

(写真上「中央アルプス」:柏雀。写真下「南アルプス」中「伊那谷・天竜峡」:平岩祥平)

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還暦記念下部温泉狂宴アルバム(一人一人の41年前タイムスリップ写真付き)
◆金森山便りのブログ(terra)


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No.2982 “ブーベの女!” 投稿者:木器   投稿日:2025年09月25日 (木) 22時14分 [返信]

【 Gemini の回答】

 ご質問、大変よく理解できます。まさに、この映画のタイトルと主人公マーラの複雑な心情をめぐる核心をつく疑問だと思います。

 イタリア語の「ragazza」は、基本的な意味としては「少女」「娘」「若い女性」を指し、そこから転じて「恋人」「ガールフレンド」という意味合いも持ちます。

 映画の原題『La ragazza di Bube』を直訳すれば「ブーベの娘」「ブーベの女」となり、ご指摘の通り、単なる「恋人」というよりも、ブーベに強く結びついたマーラというニュアンスが強調されています。

「恋人」という訳が持つニュアンスについて

 日本の邦題『ブーベの恋人』における「恋人」という訳は、一般的なロマンス作品として分かりやすいタイトルにするという意図があったと考えられますが、原作小説や映画が描くマーラの感情や状況の深みを完全に伝えるには、少し弱いと感じるのも無理はありません。

「ragazza」の持つ広範な意味合い:

「少女」「娘」:マーラがブーベと出会った当初の若さ、未熟さ、純粋さを示唆しています。

「ブーベの所有物」ではない、運命的な結びつき: ご指摘の「運命的につながれた女、離れていても一つの存在」という解釈は、この作品のテーマに非常に近いですね。

**「ブーベの女/彼女」**という表現が伝えるもの

「ブーベの女」または「ブーベの彼女」という訳の方が、映画の核となるテーマである**マーラの「決意」と「帰属意識」**をより強く示唆できます。

 政治的・社会的背景: 映画の舞台は第二次世界大戦終結直後のイタリア(ネオレアリズモの潮流)。ブーベはパルチザン(抵抗運動の英雄)であり、逮捕・投獄された後も、彼の存在は社会的な重みを持ち続けます。
 マーラが他の男性に心を惹かれそうになる中でも「私はブーベの女だ」と決断するのは、単なる恋愛感情を超えた**倫理的、あるいは運命的な「責任」**を負うことの表明なのです。

 自己犠牲と献身: 映画の後半、ブーベの長期の投獄が確定した後、マーラは他の男性との幸福な未来を自らの意思で諦め、彼を待ち続けることを選びます。
 この「献身」や「自己犠牲」のニュアンスは、「恋人」という言葉のロマンチックな響きよりも、**「ブーベに運命を捧げた女」という意味合いを持つ「ブーベの女(彼女)」**の方が、より的確に伝わるでしょう。

 英語圏での小説の邦題が『Bebo's Girl』(ベボ、つまりブーベの娘/女)となっていることからも、この「誰かに属する」あるいは「特定の運命を背負った」というニュアンスが重要視されていることが分かります。

 字幕の「私はブーベの恋人だから」というセリフは、その運命的な決意を込めた、非常に強い言葉として解釈するのが、作品の真意を理解する鍵になると思います。



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