今朝の新聞歌壇で「どきり」とした歌が2首。
*「よか男」ともて囃されて来し君の老いは悲しや口笛までも(東松山市 星山文子。栗木京子選)
*棒切れでスカンポの首落としつつ少年にあり漠たる不安(静岡市 小川健治)
【評】春に伸びるすかんぽの新芽でしょう。何に焦っているのか、少年は棒を振り回す。こういう理由のない不安も若さの特徴。この少年は、作者の自画像かもしれません。(黒瀬珂瀾選)
1首目は「よか男」はともかくとして、最近、入れ歯のせいか口笛が思うように鳴らなくなったことを思い出し、ややや!となったのです。 小3の孫が、得意げに「口笛できるようになったー」とピロピロいろんな曲をやります。ジイも「まかせとけ」と昔から得意だった唇すぼめ口笛と舌先シーシー口笛を聞かせようとしたのですが、ピロピロと鳴らずにスースーと歯漏れ音ばかり。 歯漏れでハモれる、などと「華齢合唱団」では言っていましたが、口笛で歯漏れ音はいただけません。回復できるか練習中、という情けなさ。
もう1首はまさに少年の日、ウサギのえさを刈り取りにあちこち歩きまわっているとき、なんのうっぷんがあったのか、鎌を振り回して当たるを幸い、背の高い草や灌木を薙ぎ倒していました。
斬った枝の中には蚕のえさとして貴重な桑の枝もあったところから、どこかで見ていた農家のおやじが、「こらーッ! この悪ガキがーッ!」と追いかけてきました。 うちは農家ではなかったので、農繁休暇のときなど宿題もなくて遊び回っていたため、ただでさえ目を付けられていたこともあったでしょう。 あとで親に付き添われて謝りに行かされました。
ま、この歌の少年の「理由のない不安」に当たるかどうか、もしかしたらその自画像に似たものがあったのかもしれないと、往時茫々の中で思ったという次第。お粗末でした。
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