日本を代表する人形美術家川本喜八郎氏が、なぜ飯田市に200体もの作品を寄贈したのでしょう・・・。飯田は「人形たちに一番ふさわしい場所だから・・・」。正に飯田下伊那の文化度の高さを表象するおことば・・・。飯田市ではこの「川本喜八郎人形美術館」を宝物として大事に大事に育んでいます・・。添付資料でご確認ください。
川本喜八郎さんとの思い出話を一つ・・・。開館前の打ち合わせなどで何度か千駄ヶ谷のアトリエを訪問した折、菱田春草の終焉の地を歩いて案内してくれた。小田急線の南新宿と参宮橋の中間地点(渋谷区)に記念碑が建っていた。すると先生は、終焉の地がもう一か所ある、と言って小田急線の踏切を渡って向こう側へ・・・。そこにも記念碑が建っていた。そこは世田谷区であった。かつて春草邸が建っていた屋敷内を小田急線が通り屋敷が分断されたというのだ・・・。初めに渋谷区が跡地に記念碑を建てたのだが、世田谷区も負けじと記念碑を線路の向こう側に建てたので、今は二か所に春草終焉の地があるのだと、川本喜八郎先生には丁寧なご案内をいただいた・・・。
飯田から伺った面々、誰も全く知らないお話でびっくりやら、嬉しいやら、川本喜八郎先生の優しいお人柄に接した一時でした。今となれば先生の飯田思いの心遣いが、懐かしい思い出として残っています。

