今週の新聞歌壇では、次の歌が心に残りました。
*古木にも春は今年の花が咲く太き腕(かいな)の黒光りして(町田市 小堀正伸。小池光選)
なぜ心に残ったかと言えば、まえに世田谷区に住んでいたころ、古い家に柿の古木があり、その太い幹の二股になったところに、ちっちゃな新芽が出ていたのが、柿の古木の黒々としたごつさとすごく対照が際立ち、印象に残りました。 そこで駄句を一つ詠んだのを覚えています。
*新芽出て柿の古木の黒きかな
歌壇の歌とは、花と新芽の違いはありますが、毎年、年を重ね老いながらも逞しさを示しつづけるものがあり、そこから毎年、新たに生まれ育つ生命がある、そこに世代交代の哀歓や期待が共通しているような気がしました。
そういえばトップ写真の下にある「5~6月の壁紙カレンダー」も、黒々とした古木と鮮やかな若葉の対比が見事な写真ですね。
でもやはり私の場合、言いたかったのは古木の存在感のほうでしょうね。 老いたりと言えども黒々とふてぶてしく、存在しつづけましょうぞ、ということです。憎まれっ子、ならね憎まれ爺、世に憚りながらもです。
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