飯田市は毎年5月になると「オーケストラと友に音楽祭」(オケ友)で大変盛り上がります。この音楽祭には長い歴史と変遷がありますので概略説明しましょう。
皆さんは「アフィニス夏の音楽祭」という音楽祭を聞いたことがありますか。1989年から2008 年までここ飯田市で開かれていました。
この音楽祭は日本のプロオーケストラの楽団員が、飯田市で合宿して学び合うものでした。この飯田での20年間に累計で750名もの全国からの楽団員が参加しました。全国の楽団員の2人に1人は飯田市を訪れたことになります。
飯田市民は、この音楽祭を物心両面から応援してきましたが、主催のアフィニス文化財団(JT)としては、飯田の後、「21回目からは、プロオーケストラのある地方都市へ移し、新たな形式で行う」との方針を持っておられました。そして山形市と広島市の二か所へ移した経緯がありました。
丁度その時、市教委にいましたので、何回か財団へ継続のお願いや以後の音楽祭の件についてご相談に伺いました。そもそもこのような高レベルの音楽祭を飯田市に持ってきてくれた方は、当時JTの役員をされていた座光寺出身のX氏でした。財団としても以後の飯田の音楽祭については丁寧なごアドバイスをいただき、今日のオケ友音楽祭につながっています。
飯田市としては「語る会」「考える会」等で何回も何回も検討を加え、2008年に「音楽祭を創る会」を設置し、オーケストラのコンサートと地元アマチュア演奏家を対象とする音楽クリニックを柱とし、パートナーに近くの名古屋フィルハーモニーにお願いすることにし、毎年5月のゴールデンウィークに開催する方向が提案されました。
そして曲折を経て2009年5月、「第一回オーケストラと友に~アフィニスのふるさと飯田音楽祭」と題した音楽祭が開催され今日に至っています。
こうした経緯の中、今回で16回を迎えた「オケ友」は、実に豊富な内容で地元にすっかり定着した音楽祭になりました。特に小・中・高生の参加が年々増加し、今年は250名にもなり、将来の飯田の音楽祭を担うにふさわしいクリニックが展開されました。こうした様々な観点から飯田市の文化度の高さは、このあたりにあるような気がしている昨今です。
以上言い尽くせない部分もありますが、ごく概略を説明させていただきました。


