伊澤さん、そうなんです、5並びゲットのときの様子をお聞きしようと思っていたところへ、まさにジャストミートの書き込みをいただき、ありがとうございます。
さすが臨場感ありますね。そんなものなんでしょうね、こうした偶然のラッキーチャンスといったものは……。
おっしゃるように、朝から原稿執筆に励んだごほうびかもしれませんね。
それにしても、最後の「島田坊や」は可愛い名まえで気に入りました。
これからはこの名を、ウェブネームとしてお使いになったらいかがでしょう。南彦右衛門さんも、ご実家の歴史からの命名ですから、揃い踏みになって面白いと思います。
なんて、人さまのことなのに勝手にすみません。
「島田」の由来を知ろうとネットを開いたら、「コトバンク」というサイトで、各地にある島田村の解説があり、その中の飯田市の旧・島田村の記事がありました。
もちろん、伊澤さんのほうがいろいろ詳しくていらっしゃるでしょうから、「島田坊や」の由来をいろいろ教えていただけると楽しいと思います。
「コトバンク」より
https://kotobank.jp/word...◆島田村
しまだむら
長野県:飯田市島田村
[現在地名]飯田市松尾(まつお)
現飯田市の北東部に位置し、天竜川とその支流松川の沖積地と、段丘上の平地とからなる。古代は「和名抄」所載の輔衆(ふす)郷に属したものと推定され、やがて伊賀良(いがら)庄の内となった。近世は一貫して飯田藩領。村高は正保四年(一六四七)が二千一三石余(信濃国絵図高辻)。
前方後円墳八基をはじめとして多数の古墳があり、下伊那では開発の最も古い地域の一つ。村の西方には建治三年(一二七七)開創の鳩ヶ嶺八幡宮があり、その南、段丘の突端には松尾小笠原氏の居城松尾城がある。その下段平坦部にも「城(じょう)」「水城(みさじろ)」などの地名があり、松尾城と関係のある館跡であろうといわれる。
「島田」の文献上の初見は文明一一年(一四七九)の諏訪御符礼之古書で、諏訪社上社大祝諏訪継満らが島田に兵を出し、松尾小笠原氏と争っている鈴岡城主小笠原政秀を助けた記事である。