No.260 駒つなぎの桜 東山道 投稿者:tomo  投稿日:2022年05月03日 (火) 11時08分 [ 返信] |
平岩さんのNHKニュースの写真を拝見して、以前見せてもらった五反田師匠による駒つなぎの桜を思い出しました。あれは良かった。ぜひとももう一度見たいものだ。
園原を舞台とした「木賊」という名曲があります。昔、謡跡めぐりで園原を訪ねた時、その途中で義経の駒つなぎの桜を知りました。鞍馬を出て奥州を目指した牛若がこの地を通ったのだと。その時は俄かには信じられなかったですが、先年中山道を歩いてみて、今は疑いもなく信じています。
金売り吉次の道案内で奥州を目指した牛若が、稚児姿の自分を探していることを知り、急遽元服して姿を変えたのが近江の鏡の里。その後、一行は美濃赤坂で金売り吉次の荷に眼をつけた大盗賊熊坂の長範に襲われます。しかし義経の働きで、大盗賊団は逆に討ち取られてしまいました。これらは何れも謡曲の題材になり残っています。 一方、東国へ向かった牛若を案じて後を追った母常盤御前は、不破の関前の山中の宿で賊に襲われ命を落としてしまいました。
壇の浦で平家を打ち破った義経は、捕らえた平家の総大将宗盛父子を連れて鎌倉へ向かいますが、鎌倉入りを拒否され、しかたなく東山道を京に向かいます。京都を目の前にして、宗盛父子は鏡の里の先で斬られ、ここが平家終焉の地となりました。地元の人達は、義経は大好きな鏡の里を汚さないため、宿を出た所まで連れて行ったのだろうと言っています。 当時の東山道(今の中山道)が、安宅ではなくて、あたかも義経街道に見えてきました。
ところで、大島山の瑠璃寺には頼朝寄進の桜があって、今も毎年きれいな花を咲かせています。 子供の頃聞いた話では、頼朝公一行がこの地を通った時、頼朝公が落馬し眼が見えなくなったそうな。驚いて地元の人達に聞くと、この先にあらたかな寺があって、馬に乗ったまま通ったのが悪かったのではないかということになった。非を詫びると再び見えるようになったそうで、頼朝公はここを祈願寺とし、寺領と桜3本を寄進したそうです。
昔東山道、今中央道、やがてリニア。何れも国の大動脈です。
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