No.2275 藤沢周平作品の映画化ハテナ 15 投稿者: 木器 投稿日:2024年11月29日 (金) 13時23分 [ 返信] |
(延々とすみませんが、やはり言っておきたいことばかり。ご容赦のほどを……)
そしてさらに第三の疑問点は、もっとも重要な最後の場面である。 今書いたあらすじだけでも感動が伝わってくるのに、映画では、ここの描き方がまことにあっさりしすぎている。 徳平が連れてきた「ちよ」を、すぐ妻とわかったと言ってしまうのである。これではこの場面の感動は半減してしまう。
もちろん原作でも新之丞はすぐ妻だと気づく。 しかし気づかないふりをしてずっと過ごす。 加世はそれでもいい。むしろ気づかれないようずっと息をひそめ、ただそばにいて世話をしていられるだけで幸せなのだという、その献身の美しさ、自己納得の切なさをここで表現しなくて、どうしてこの名作の本質が伝えられるのだろうか。
それでもこの映画は、各種映画賞を受けるほど多方面から評価されている。 もちろん私もそれだけの水準に達した作品だと思う。 しかし、それは藤沢周平氏の原作がもっている感動容量がもともと大きかったため、その六〇%相当の映画表現でも十分、人々を感動させて余りあるものだったのではないか。
あくまでも原作のよさの一二〇%と言わないまでも、ぎりぎり一〇〇%を目指して原作をとことん生かしきるのが、原作映画化に携わる人間の誠意だと思う。
原作を変えたほうがよくなることもたしかにあるだろう。 しかし、それはよくよくのことではないか。 それなのに、映画なのだから小説とは違う、変えたほうがよくなるのは当たり前とばかりに、「変えるために変える」ことがあったら、不遜のそしりは免れない。
そうしないと映画作りのプロとして、仕事をした気にならないというのなら、どうぞ原作の映画化などは考えないで、オリジナル脚本で思う存分、のびのびと映画作りをしてほしいと思う。
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