No.246 イマジネイジング 投稿者:木器 投稿日:2022年05月01日 (日) 04時37分 [ 返信] |
おたぐりさんが書かれた平櫛田中の100歳にして、乾燥に何年もかかる彫刻材料を備蓄する気迫。調べてみたら30年も乾かさないとだめらしいですね。いくら長寿でも130歳は無理でしょうから、そのあたりのことを田中はどう思っていたのでしょうね。
思うに彼は、これが乾燥して彫刻刀を振るえるその場面を、年齢を超越してイメージしていたと思います。実際にはこの材木が使えるようになるころ、自分は生身の人間として生きていなくても、生きている今、イマジネーションによって30年後、つまり死後の彫刻ができるということでしょうか。
イマジネーションによって死後の世界に生きる、このことは誰にもありうる年の取り方ではないかと思えます。以前、資生堂の社長だった福原義春さんが、折に触れ配っていた本で、『木を植えた人』(ジャン・ジオノ著、こぐま社)というのがありました。本の説明にこうあります。
――南仏プロヴァンスの荒れ地に、人知れず木を植えた男がいた。一日に100個のどんぐりを植え、無事に育つのがその10分の1ほど。時には苗が全滅することもある。絶望も、二度の大きな戦争も物ともせず、30年以上に渡る長き年月、ひたすら無私に、しかも何の見返りも求めず、荘厳ともいえるこの仕事を成しとげた老農夫、エルゼアール・ブフィエの高潔な魂。――
何十年後、自分の植えた木が大きく育つのを見られないことはわかりつつ、「木を植える」ことを続けるのは、ある意味、むなしいことではないかと思えたのですが、やはりここでも植えた木が育ち人びとが喜ぶ姿へのイマジネーションがあったのだと思いました。
自分が死んだ後のことなど、どうなろうと知ったこっちゃないと、私などは思ってしまいますが、でもこうしてイマジネーションによって死後のことを思うと、やはり今生きている自分と関係ないとは言えない、今生きている自分の生きがいと大いに関係がある、つまりイマジネーションによって死後の世界に生きられるのだ、と思いなおしました。
これを「イマジネーション」による年の取り方「エイジング」を合わせて、「イマジネイジング」と呼んだらどうかと、昨日思いつきました。もう誰かが言っているかもしれませんが……。
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