No.2082 はい笑って、はい泣いて 投稿者:木器 投稿日:2024年09月16日 (月) 09時15分 [ 返信] |
今日の新聞歌壇、一首だけ共感した歌がありました。
*おもしろく読まれるように書いてあるからおもしろいからつまらない(京都市 袴田朱夏) 【評】いったん認めた一つ目の「から」から、一転する二つ目の「から」がスリリング。句またがりが、うまく使われている。(俵万智)
そうなんですよね。これで思い出すのが、もう大家として名を成しているある有名映画監督のこと。ファンも多いのでちょっと遠慮して頭文字のY監督としておきます。
Y監督の作品は映画でもテレビドラマでも、最初は大ファンでした。 巧みなドラマツルギーをお持ちで、ほんとよく笑わせてくれました、しみじみ泣かせてもくれました。 しかし、だんだんその笑わせ泣かせが、私にはなんか違和感があるというか、しっくり来ないようになってしまいました。
なんでだろうと思っていたのですが、多分その笑いや涙が、あまりにも計算されつくしている、つまりあまりにも「はいここで笑って」「はいここは泣く箇所ですよ」という、作者の「作為」、と言っては言いすぎなら「作意」が見えてしまうようになってしまったのです。
この歌の言葉でいえば、「おもしろく読まれるように書いてある」からたしかに「おもしろい」のですが、「おもしろく読まれるように書いてあるからおもしろい」とわかってしまうと「つまらない」ことになってしまうのですよねー。
ま、こんな違和感を抱かないで楽しめる作者や作品にもたくさん出会っていますから、無理してこの監督のものを見ることもなくなり、それはそれでいいんですけどね。昔はよかっただけにちょっぴり残念。
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