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今日の誕生花――3月16日 ミント


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写真:「春告花と残雪」(平岩祥平)

龍峡小梅の花と恵那山


南アルプスの残雪・1/2


南アルプスの残雪2/2


サンシュウの蕾


中央アルプスの残雪


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♪「八十路のデュエット」――ル・クプル・コーノ
♪クシコスポスト、♪トルコマーチ、♪荒城の月
♪「八十路のデュエット」2――ル・クプル・コーノ
♪ムーン・リバー、♪埴生の宿、♪旅愁
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◆「日本最大の谷」=2大アルプスに挟まれた「伊那谷」◆

(写真上「中央アルプス」:柏雀。写真下「南アルプス」中「伊那谷・天竜峡」:平岩祥平)

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No.2006 蝉時雨 投稿者:木器   投稿日:2024年08月07日 (水) 06時25分 [返信]

 今週の読売俳壇に、次の句と評が載っていました。

「生きるのに疲れたけれど蝉時雨」(筑紫野市 二宮正博)

【評】意気消沈して木の根っこに腰を下ろした。しかし、一心不乱の蝉(せみ)の声に力を得て、やがて立ち上がった。口語表現が心の変化をよく伝える。(高野ムツオ)

 真夏の暑さの伴奏曲のように、ひたすらジリジリジリと木々の間から降り注ぐ蝉時雨は、何かドラマや人生の一区切りを示すような1シーンを感じてならないのです。

 何度か書いたと思いますが、親しい友人が妻を亡くし、葬儀の場で号泣しているところへうるさいほどの蝉時雨。思わずこうつぶやいていました。

「友よ泣け泣くしかないよ蝉時雨」

 しばらくしてネットで偶然、こんな句を見つけました。

「蝉時雨赤子泣け泣けもっと泣け」(花輪厚子)

 そして何よりも忘れられないのは、終戦の日の蝉時雨です。まだ4歳と幼かった小生が覚えているわけはないのですが、いろいろなところでこの日の蝉時雨のことを目にします。
 昨年の終戦記念日の東京新聞社説には、こんな俳句の引用もありました。俳句の前後も併せて転記します。

「一九四五(昭和二十)年の八月十五日、列島の大半は晴れで、やはり、セミの声がうるさいほどだったといいます。<玉音のあの日も今日も蟬(せみ)しぐれ>高村寿山。国民は、七十八年前の今日、初めて長かった戦争が敗北で終わったことを知らされたのでした。」

 これは本当に歴史の一区切りの背景音としての蝉時雨です。

 そしてあの藤沢周平の名作『蝉しぐれ』のあの最後の場面。印象的でしたよね。
 少年時代から思いあっていながら、心ならずも藩主の側室になっていたお福との束の間の逢瀬の後、文四郎(助左衛門)はかすかな悔恨に似た気持ちとともに、「会って、今日の記憶が残ることになったのをしあわせと思わねばなるまい」と思いながら馬を走らせます。

 ――顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、耳を聾するばかりに助左衛門をつつんで来た。蝉の声は、子供のころに住んだ矢場町や町のはずれの雑木林を思い出させた。助左衛門は林の中をゆっくりと馬をすすめ、砂丘の出口に来たところで、一度馬をとめた。前方に、時刻が移っても少しも衰えない日射しと灼ける野が見えた。助左衛門は笠の紐をきつく結び直した。
 馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た。――




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