No.2006 蝉時雨 投稿者:木器 投稿日:2024年08月07日 (水) 06時25分 [ 返信] |
今週の読売俳壇に、次の句と評が載っていました。
「生きるのに疲れたけれど蝉時雨」(筑紫野市 二宮正博)
【評】意気消沈して木の根っこに腰を下ろした。しかし、一心不乱の蝉(せみ)の声に力を得て、やがて立ち上がった。口語表現が心の変化をよく伝える。(高野ムツオ)
真夏の暑さの伴奏曲のように、ひたすらジリジリジリと木々の間から降り注ぐ蝉時雨は、何かドラマや人生の一区切りを示すような1シーンを感じてならないのです。
何度か書いたと思いますが、親しい友人が妻を亡くし、葬儀の場で号泣しているところへうるさいほどの蝉時雨。思わずこうつぶやいていました。
「友よ泣け泣くしかないよ蝉時雨」
しばらくしてネットで偶然、こんな句を見つけました。
「蝉時雨赤子泣け泣けもっと泣け」(花輪厚子)
そして何よりも忘れられないのは、終戦の日の蝉時雨です。まだ4歳と幼かった小生が覚えているわけはないのですが、いろいろなところでこの日の蝉時雨のことを目にします。 昨年の終戦記念日の東京新聞社説には、こんな俳句の引用もありました。俳句の前後も併せて転記します。
「一九四五(昭和二十)年の八月十五日、列島の大半は晴れで、やはり、セミの声がうるさいほどだったといいます。<玉音のあの日も今日も蟬(せみ)しぐれ>高村寿山。国民は、七十八年前の今日、初めて長かった戦争が敗北で終わったことを知らされたのでした。」
これは本当に歴史の一区切りの背景音としての蝉時雨です。
そしてあの藤沢周平の名作『蝉しぐれ』のあの最後の場面。印象的でしたよね。 少年時代から思いあっていながら、心ならずも藩主の側室になっていたお福との束の間の逢瀬の後、文四郎(助左衛門)はかすかな悔恨に似た気持ちとともに、「会って、今日の記憶が残ることになったのをしあわせと思わねばなるまい」と思いながら馬を走らせます。
――顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、耳を聾するばかりに助左衛門をつつんで来た。蝉の声は、子供のころに住んだ矢場町や町のはずれの雑木林を思い出させた。助左衛門は林の中をゆっくりと馬をすすめ、砂丘の出口に来たところで、一度馬をとめた。前方に、時刻が移っても少しも衰えない日射しと灼ける野が見えた。助左衛門は笠の紐をきつく結び直した。 馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た。――
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