No.2003 神様のご配慮 投稿者:木器 投稿日:2024年08月05日 (月) 14時36分 [ 返信] |
柏雀さんがおっしゃるように、何ごとによらず「年だな、億劫だな」となるのは、じつは神様のご配慮で、余計なところにエネルギーを使わないよう、すべてに省力化された生活ができるよう仕組まれているからなんですよね、きっと。
一方では小生のように、年になるとただでさえあらゆる場面で要領が悪くなり、日常の動作にも繰り返し、調べなおし、やり直しが多くなります。
買い物をするためにスーパーに行っても、隣にある銀行での用事を忘れていて、また行きなおします。どうしてそんな二度手間になるようなことをするの?と、よく言われます。
たしかに、おっしゃるとおり料理や掃除など家庭内の動作にしても、二度三度と同じ場所にものを取りに行くより、一度に必要なものをまとめて運べば時間も手間も少なくて済むはずです。
でも、こういうとき小生など、「この年になると効率のよさはむしろ毒だ。自分のためにならない」という言い訳をしています。 変な話ですが、孫の手を使えばすぐ掻ける背中のかゆみを、自分の手で掻こうと必死に手を回しまさぐる、これぞ格好の「我流ストレッチ」でなくて何であろう、という理屈です。
要領が悪くて手間がかかるのも、億劫になって出不精になるのも、似て非なるものかもしれませんが、いずれも年のため、どちらも神様のご配慮なのだと、ふと思いました。
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