No.1995 「生きめやも」の謎 3 投稿者:木器 投稿日:2024年07月30日 (火) 07時47分 [ 返信] |
冒頭の引用は柏雀さんがしてくれましたが、もう1か所は「序曲」の後の「春」という章の半ば過ぎにこう出てきます。
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それは、私達がはじめて出会ったもう二年前にもなる夏の頃、不意に私の口を衝ついて出た、そしてそれから私が何んということもなしに口ずさむことを好んでいた、
風立ちぬ、いざ生きめやも。
という詩句が、それきりずっと忘れていたのに、又ひょっくりと私達に蘇(よみがえ)ってきたほどの、――云わば人生に先立った、人生そのものよりかもっと生き生きと、もっと切ないまでに愉(たの)しい日々であった。
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いかがでしょう。この抜粋を見ただけでも、この文脈からは大野・丸谷説のような否定的なニュアンスは感じません。小説全体を改めて読みなおしても、この雰囲気は一貫して変わらないと思いました。 何とも言いようのない奇妙な明るさが、全編に漂っているような……。
もちろん、内容は、サナトリウムで長く闘病を続ける婚約者との「死の味のする生の幸福」(作中の言葉)を描いたものですから、あっけらかんとした明るさではありません。 忍び寄る死や別離の影を感じながら、だからこそ痛切に感じる、今生きていることの喜び、生きたいという思いを訴えようとしたのかもしれません。
ここに書かれた「人生に先立った、人生そのものよりかもっと生き生きと、もっと切ないまでに愉(たの)しい日々」を獲得するための「呪文」のようなもの、それが「いざ生きめやも」だったのかも。
このあたりに小説の基本テーマがあり、「生きめやも」も誤訳云々とは別の、作家の意図から生まれたものではないか、その点で柏雀さんのご意見と一致するのではないかと思いました。
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