No.1992 「生きめやも」について 投稿者:柏雀 投稿日:2024年07月29日 (月) 21時59分 [ 返信] |
ChatGPTさんに頼んだら、品詞分解しそれぞれの文法的機能を解説した上で「いざ生きめやも」は「いざ(さあ)生きることが出来ようか、いや、できないだろう」の意味だと教えてくれた。
これが正しければ、「いざ生きめやも」は「il faut tenter de vivre.」の訳としては明らかに間違いだということになる。
ただし、青空文庫で「風立ちぬ」をざっと見たかぎり、冒頭に「Le vent se lève, il faut tenter de vivre」と掲げてはあるが、「風立ちぬ、いざ生きめやも」がその訳だとは読み取れないし、またどこにもそうは書かれていないような気がする。
「風立ちぬ、いざ生きめやも」は本文中でたしか2回ほど使われている。
最初は、「序曲」の中で
「・・・それは私たちがそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架と共に、倒れた音らしかった。すぐに立ち上がって行こうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。
風立ちぬ、いざ生きめやも。
ふと口を衝いて出てきたそんな詩句を、私は私に靠れているお前の方に手をかけながら,口の裡で繰り返した。」
つまり、私に靠れている「お前」がこの先「生きることが出来ようか、いや、できないだろう」と予測している「私」の心の内を表しているのだと思う。
「風立ちぬ、いざ生きめやも」はヴァレリーの詩を下敷きにしてはいるが、これは「私=堀辰雄」の言葉であって、誤訳だとかの話ではないと考えたのですが・・・さてどうでしょうか。
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