No.1989 「生きめやも」の謎 1 投稿者:木器 投稿日:2024年07月28日 (日) 16時47分 [ 返信] |
毎日お暑いことでありますなむ。 バテ気味なオツムに、またまた暑苦しい話題はかんべんして、と言われそうなので、軽井沢や八ヶ岳の避暑地での、文学の話でもしましょうか。 そのほうが暑苦しいって、言われるかもしれませんが、しばしお付き合いください。
27日の読売新聞「編集手帳」に、堀辰雄の小説『風立ちぬ』に出てくるヴァレリーの詩、「風立ちぬ、いざ生きめやも」の「生きめやも」の有名な誤訳説……という表現がありました。 が、有名と言われるほど、その誤訳説は知られているでしょうか。 小生も、言われてみればそうだったかなと思う程度で、詳しくは知りません。
多分、多くの人は、「いざ」と付いているし、「さあ、生きなくっちゃね」といった肯定的な意味だと思っていたのではないでしょうか。私もそうでした。 だから、いろいろ文句を言ってきたアニメ映画『風立ちぬ』の中や宣伝でこのセリフが使われたときも、その意味で理解していました。
調べなおしてみると、30年以上もまえに権威ある国語学者の大野晋と作家・丸谷才一が対談で、この訳は誤訳であり、「生きめやも」という古い言い回しの意味するところはむしろ逆、「生きようか、いや断じて生きない、死のう」になってしまうと指摘したのだそうです。
誤訳というからには、その原文を知らねばなりません。これはもういろいろなところに引用されていて、ヴァレリーの「海辺の墓地」(Le Cimetière marin)という、144行もある長い詩の最後のところに出てくる言葉だそうです。
Le vent se lève!.... il faut tenter de vivre!
新聞では、その前後を抜き出した平易な訳を紹介しています。それによれば……。
空よ/真実の空よ/うつろなぼくを見るがいい/飲むのだ/ぼくの胸よ/いま生まれてきたばかりの/風を/ああ、風が立つ!/生きなければ/もっと強く/生きなければ!
たしかにこの訳では、問題の部分は「生きなければ/もっと強く/生きなければ!」となっていて、もし「生きめやも」が大野・丸谷説のとおり「生きようか、いや断じて生きない、死のう」だったとしたら、まるで逆の誤訳と言わざるをえないでしょう。
むしろ、私を含め多くの日本人がそう思っていたように、「さあ、生きなくっちゃね」と理解したほうが、ヴァレリーの原詩には近いと言えます。「生きめやも」の正しい理解でなく「誤解」だったとしても、です。
でも、そうなるとさらに気になるのが、堀辰雄の真意です。単なる誤訳なのか、それとも何か含意があるのか……。小説『風立ちぬ』の中には冒頭だけでなく、途中にもこの句は出てきますし、「風立ちぬ」という章まであります。
調べてみると、堀辰雄はフランス文学の翻訳をしたりして外国語に詳しいうえ、東京帝大の国文科出身の上に卒業後も日本の古典文学の研究にも打ち込み、数々の作品を書いてもいます。 そんな彼が、明らかに誤訳と言えるような文言を、このように目立つ書き方で残すだろうか、という疑問がどうしても消えません。 そこで、やはり『風立ちぬ』の原文を見直してみることにしました。
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