柏雀さんは、やはりラテン語の勉強を続けるだけあって、古代ローマの哲学者の言葉にも通じておられるようです。 「いかなる法律も、それが設けられた当初は正当であると思われた」 という古代ローマの言葉を知って、たしかにそう思える節があるのを、柏雀さんも挙げておられるこの一連の旧優生保護法裁判報道の中で感じました。
とくに、判決の後の判事たちの個人的意見の中に、そのあたりの議論の揺れが感じられます。 たとえば、弁護士出身の草野耕一裁判官が述べたという、結論を補足する意見です。
「旧優生保護法が、衆議院と参議院ともに全会一致で成立したという事実は、憲法違反だと明白な行為でも、異なる時代や環境の下では誰もが合憲と信じて疑わないことがあることを示唆している」
なんだかんだ言っても、結局「全会一致で成立」というのは、いささかも疑問を挟む余地がなかったと見えます。
もちろんだからこそ、「政治が憲法の適用を誤ったと確信した場合には、その判断を歴史に刻み、立憲国家としての国のあり方を示すことが、司法の役割だ」と補っています。
ただし、戸倉三郎裁判長は、「旧優生保護法の立法目的は当時の社会状況を考えても正当とはいえない。生殖能力の喪失という重大な犠牲を求めるもので個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反し、憲法13条に違反する」と言っているそうですから、やはり「当時の社会状況を考えても」あってはならないこと、「全会一致」自体があってはならないことだったことに、変わりはないということでしょうか。
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