No.1908 若者と長老席 投稿者:木器 投稿日:2024年06月09日 (日) 08時28分 [ 返信] |
昨日の飯田での同窓会総会は、恒例の議事進行は例によって例のごとく、きわめて行き届いたものでしたので、私のようなたまたまの参加者が申しあげるようなことはとくにありません。
お目当ては桑原利彦さんの講演でしたが、新宿からのバスが渋滞で1時間以上も遅れて、会場の最後部席しかなかった上に、音響の悪さか難聴のせいか、よく聞き取れなかったのが残念でした。 それでも言葉の端々に、最近の高校生の意外な一面を生き生きと伝えてくれる桑原さんならではの活動の成果がうかがえて、さすがと思わせてくれました。
今の高校生はとっくの昔に制服など捨てていたのではないかと思っていたら、なんと制服廃止の投票をしたら、半数以上が廃止反対だったというのには驚きました。 理由の主力は、私服だとかえって毎日どれを着ようかと悩まなくてはならないから、だというのです。「自由」であることの「不自由」を感じとっているとは、なかなかお主たちやるのーと思いました。
それと田舎の若者は皆、大都会を向いていて、何かといえば東京や大阪に出たがる、卒業後も大都市を目指すものばかりと思っていたら、これがかなり違うようです。 桑原さんの講演のユニークさは、こうした若者たちをじっさいに壇上に呼んで、彼ら彼女らに自分で語らせたことでしょう。
現役高校生4人がかわるがわる話した内容の特徴は、ほとんどが地域密着の活動にやりがいを感じているところでした。 先ごろの能登半島地震の際に、すでに新聞報道もされましたが、被災地にある同名の「飯田高校」に対して、すこしでも励ましになれることをやりたいと発案したのは、生徒会長を務める生徒だったそうです。 また地元の特産である柿の皮の粉末が、牛のげっぷのメタンガスを劇的に減らす効果に気づいて、大学研究室との連携で製品開発を進めるなど、かなり高度の活動まで手掛けています。
懇親会の席でも、同窓会と言えばお年寄りの会というイメージをガラリと変え、ここでも桑原さんの出番でした。 宴会のまえのアトラクションで、桑原さんが指導した女性ボーカルが3人登場して、澄んだ伸びのある歌声を聞かせてくれました。 宴会たけなわになってからも、「みんなで歌おう!」の時間を設け、「あの素晴らし愛をもう一度」や「22歳のわかれ」「上を向いて歩こう」など、懐かしいあのころを思い出す青春の歌を、当番幹事年度である桑原さんの同期27回の面々がまえに出て、歌い踊りました。 桑原さんのギター伴奏に、あの高校生ボーカルも加わってくれました。
ちょっとあとで桑原さんに聞こうと思っていたのですが、この高校生たちの歌い方に共通するのは、ほとんどビブラートのないストレート・ボイスであることなんですが、それはなぜでしょう。 FORESTAのソプラノなど、クラシックの歌手は自然なビブラートで歌っていますよね。 テレビのカラオケバトルなどに登場する名人級の若者たちは、ほとんどプロの歌手をまねてか演歌はもちろんですがポップスでも、かなりビブラートは利かせていて、採点マシンの加点ポイントにもなっているようです。
それはさておき、懇親会で、もひとつ驚いたというよりショックだったのは、このことです。 宴会で配分されたテーブルごとの着席名簿を見たら、高校12回の参加者、池田延史さんと私は、何と高校7回を最高齢とする7人の「長老席」のテーブルとなっているではありませんか。 やはり同窓会においても、しかるべきその年になっているんだなーということです。
お定まりの鏡開きには、38回卒の佐藤健市長も加わってくれました。 市長との立ち話で、平岩さんから言われていたように、市長が尊敬しているというソニー創業者の話もしました。私が編集した井深さんの本も、平岩さんのお世話で市長に渡っているので、改めて見ると言っていました。 市長は、高校時代はバンドを組むくらいギターをやっていて、さだまさしにほれこんでいたそうですから、「桑原さんと一緒に弾き語りやってくださいよ」とけしかけたら、「いやいやー」と言いながらまんざらでもない風でした。
そんなこんなを伝える写真を何枚か載せておきます。
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