No.1827 当時の野球試合 投稿者: 木器 投稿日:2024年04月24日 (水) 15時46分 [ 返信] |
私の育った川路村は全部で8区に分かれていて、あらゆる行事がこの区単位で行われていました。
野球の道具なども区長の家に保管されていて、大人用でしたが少年たちにも貸し出してくれました。そこに細長いファーストミットがあったのが嬉しくて、悪ガキたちが競って使いたがったものです。
全村運動会なども区ごとの対抗戦でしたし、少年野球も区対抗でした。 しかし私の所属した村はずれの1区は人口が少なくて、私が中1のとき小中学生の野球チームに上級生の2,3年生がいなくて、1年の私が仕方なくピッチャーで4番バッターをつとめました。
ほかの区は、3年生のでっかいあんちゃたちが投げて打ってくるので、1年生のF少年が一生懸命、変化球を習って投げ込んでも、ポンポン打たれてしまいます。
姉が通っていた竜丘のカルニュー光学という会社に野球部があり、そこのキャプテンだった青年が姉に気があったのを利用して、ピッチングの指導を受けたり、試合見学をさせてもらったりもしました。
そんな努力も、やはり学年差には勝てず、1区のチームは弱小でした。 メチャ負けですごすごと帰った記憶がありますが、その後、やはり各区のチーム編成が難しかったのか、少年野球大会はやらなくなってしまったようです。
灰田勝彦のヨーデルを思い出しながら、やはり「野球小僧」ともう一つ好きだった「新雪」を口ずさんでいます。 こうのさんの思い出の北原くんのことも、私はまったくおぼえていませんが、幻のような美しい情景です。
こうのさんが作詩してくれた「野球小僧・川路版」も歌ってみました。なかなかうまくはまって気に入りました。あんがとさんです。
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