No.1684 残念無念の続き 投稿者:木器 投稿日:2024年02月11日 (日) 08時11分 [ 返信] |
初めて肉眼で小澤征爾さんを見たのは、成城学園のホールでのリハーサルでした。 小澤さんは中学・高校と成城学園に通い、一時、経堂にも住んだということで、私もずっと小田急線沿線暮らしをし、経堂にも住んだので、その意味でも身近なものを感じていました。
何しろ少年時代の夢は、指揮者になることでしたから、ピアノのある家が特に羨ましく感じられました。 母の兄にあたる小林八十吉さんは、当掲示板にもたびたび登場していますが、当時としては珍しい東京の音楽学校の卒業生で、自宅にピアノがあったので、ときどき行って触らせてもらっていました。 東大に現役入学した息子さんなど、地域の中学校の音楽会で、ブルグミュラーの「つばめ」を独奏し、左手を右とクロスさせて弾くかっこいい姿に見ほれたものです。 ついでに言うと、この音楽会で私は宮内宏先生の指導を受け、中学生オーケストラでモーツァルトの「トルコ行進曲」を指揮したのでした。
その後、大学時代もブルーノ・ワルターなどに憧れて似顔絵を部屋に飾ってあったほどでしたが、ちゃんとした音楽教育も受けていませんから、まあ、夢はそこまでで終わりでした。 せいぜい「新世界」交響曲などレコードを聴くときに、分厚いオーケストラのスコア(総譜)を買ってきて、それを眺めながら聴いていましたから、そういう曲はほんと隅々までよく覚えました。
そんな日々もはるか遠い東京での仕事の合間に、小澤さんの母校でもある成城学園のホールで、アルゼンチンの女性ピアニスト、マルタ・アルゲリッチを迎えたコンチェルトのリハーサルがあったのです。
私の記憶に間違いがなければ、そこで小澤さんがしきりに言っていた「レガート(滑らか)にレガートに」という言葉は、テレビで見たカラヤンのリハーサルで繰り返されていた言葉と同じで、いかに音楽にとってレガートということが大事なのかを感じました。
後で知ったのですが、戦後間もなくの有名な映画『ここに泉あり』で描かれた群馬交響楽団が、小澤さんの指揮者としての初舞台だったそうで、そのことも親しみを深めました。
本を作りたいということで集めた小澤さんの言葉の中には、そうした親しみをさらに強くする素晴らしい言葉がたくさんありました。 本にはできませんでしたが、追悼を兼ねそのいくつかを、後で紹介したいと思います。
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