No.1265 キーワード「見る」 投稿者:木器 投稿日:2023年07月07日 (金) 07時52分 [ 返信] |
「帚木」の濡れ場に記述について、「既遂」か「未遂」かと、とぼけたことを書きましたが、どうも世の解釈すべてが「既遂」で何の疑問も出されていないことから、ちょっと確かめてみたところ、どうも文中にある「見る」という言葉の意味が重要なのではないかと思えてきました。
簡単には手折れそうもないと思い、嫌がり抵抗する女を見て、 「心苦しくはあれど、見ざらましかば口惜しからまし、と思す」 とあり、ここに出てくる「見ざらましかば」が、どうも意味深なのです。 要するに、もし「見る」に男女の交わり、契りの意味があれば、「契りを交わさなかったら心残りになる」と思った、ということになります。
そういえば百人一首の有名な一首、 「逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」(権中納言敦忠)も、よくよくその意味をたどれば、「貴方と逢って愛しあった後の心に比べれば、それ以前の物思いなど無かったようなものだ」、つまり「逢ひ見て」が「逢って契りを結んで」という意味になることからも、古語「見る」には男女の関係を指す意味があったのだ、と遅まきながら気づいたのです。
そこで、改めて辞書を見てみたら、やはりありました。 「見る」③男女が関係を結ぶ。結婚する。妻にする。 例文として、「枕草子 にくきもの」のところに、「わが知る人にてある人の、はやうみ(見)し女のこと、ほめ言ひ出でなどするも」(自分が現在つきあっている男が、以前関係のあった女性のことを、ほめて口に出したりするのも)が挙げられていました。
「帚木」でも、あとで女自身、こう言っています。 「よし、今は見きとなかけそ」 つまり、この情事はなかったことにしてください、と言っているので、私の「未遂」説はあえなく沈没という結論になったようです。
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