No.1111 どこが民主的だと言えるのか 投稿者:AA2Take 投稿日:2023年04月20日 (木) 15時18分 [ 返信] |
個人的要求に凝り固まって、他者が死傷することがあっても意識に介すことのないテロ行為のどこが民主的だと言えるのか? マイノリティの意見を汲み上げることと凶悪な想念から出る行動は、違う扱いをされて然るべきだ。 反社会的に走る者の行動を容認してしまう風潮に、危機感を覚える。 マスコミ及び一部識者?は、コンマパーセント以下の身勝手な要求を庇い過ぎているのだはないのか?
毎日新聞も27日のウェブ記事で、「安倍氏銃撃容疑者モデルの映画、上映前に長い列」という記事で、その人気ぶりを「宣伝」し、翌28日には「英雄視せず内面迫りたかった」という見出しで足立監督のインタビュー記事を配信した。 23日に日刊ゲンダイDIGITALが配信した記事では、足立監督は「オレ」にとって「安倍家3代は不倶戴天の敵」と敵愾心をあらわにし、山上容疑者について「最後まで自分が壊れることなく現実に立ち向かった、「尊敬する」と絶賛している。劇中で主役に「(戦士として闘い)星になる」というセリフを言わしめたのは、自らの理想を山上容疑者に投影しているからであろう。足立監督にとっておそらく山上容疑者をモデルとした主役は、自身の「代弁者」なのだ。何より『REVOLUTION+1』という題が、日本赤軍の目指した「革命」の継承者として山上容疑者を位置付けていることを暗示している。 東京新聞も23日のウェブ記事で、足立監督の「現在の若い人はとても生きづらそうに見えるが、もっと自分の心を解き放ち、心を素直に人生をのびのび生きて欲しい」という言葉とともに、同映画を「宣伝」する記事を掲載した。東京によると、この言葉は「若い世代にエールを送る」ものらしい。「事件は決して許されない」としながらも、若者を煽(あお)る記事である。暴力を美化、扇動、助長することは許されない。 人権重視をうたい「リベラル」を気取る朝日や毎日、東京が、日本赤軍という国際テロ組織のメンバーだった人物を「革命家」と美化したり、その人物が殺人をたたえ、正当化、助長するがごとき映画を好意的に取り上げ「宣伝」したりする現実に、リベラル紙の眩暈(めまい)のするような倒錯を確認せずにはいられない。もはや報道ではない。プロパガンダである。 これを見ていた岸田首相襲撃犯・木村隆二容疑者が、同様の犯行に及んだ結果も、同様な反応下にある。民主主義が民主主義として実効ある作用をするには、公安の働きにもっと力を与えるべきだはないのか。
|
|