No.1094 モーリタニアの蛸漁 投稿者:AA2Take 投稿日:2023年04月17日 (月) 15時33分 [ 返信] |
アフリカを貧困から救った一人の日本人がいる。 アフリカ北西部に位置するモーリタニアは、人口はおよそ300万人。国土の9割は砂漠で覆われており、砂漠と大西洋に沈む夕日が美しい国だといわれる。 平均月収はおよそ2万ウギア、円に換算すると7千円弱であり、豊であるとは言い難い。2011年のある日、モーリタニアにある日本大使館に、ひとりの男性がやってきて「日本に、これを…」と差し出したのは、お金。それは東日本大震災への寄付金であった。全額は5千ウギア。日本円だと1700円。しかし、彼にとっては月収の4分の1にも当たる大金でした。職員が「あなたのお名前は?」と聞くと、「私は日本の友人です」というのです。 その後も多くの国民が寄付をするために日本大使館を訪れました。その誰しもが「日本人への恩返し」と口にしました。寄付金は総額4570万円にものぼりました。なぜ遠く離れた日本のために、彼らはそこまでしてくれたのでしょう? そこには、モーリタニアと日本の深い絆が隠されていたのだという。 1960年、アフリカの植民地が相次いで独立、他の国と同じくモーリタニアもフランスから独立を果たしましたが、国を支える主な産業がないため、国民は貧困に苦しんでいました。 この独立間もない国に救いの手を差し伸べたのが、当時の日本政府でした。水産庁、外務省が全面的に協力して、モーリタニアの漁業を振興してほしいとの命を受けたのが、中村正明さんでした。 JICA及び海外漁業協力財団から派遣されて、世界各地で漁業指導を行っていた中村がその国に足を踏み入れたのは26歳の時でした。 当時のモーリタニアは、大西洋に面しているのにも関わらず、漁業という産業が存在しませんでした。主食は羊やラクダなどの肉。魚介類を食べる習慣がなかったのです。人々の貧困生活を目のあたりにした中村は、日本の漁業技術を教え、国を豊かにしょうと考えました。 しかし、本格的漁業を立ち上げるには、金もモノ(船)もヒト(漁師)もいません。それはたった一人でのプロジェクトでした。 「絶好の漁場があるじゃないか」――彼はさっそく、海の近くの住民を集め、自分の思いを伝えました。 「ここには良い漁場があるんです。だから明日の朝4時ここに集合してください」 しかし、翌朝、誰も来ませんでした。彼らには時間に合わせて行動するという習慣がありません。ましてや相手は見ず知らずの日本人。
住民一人ひとりに対して漁業の必要性を熱心に説きました。訴え続けること3カ月、なんとか3人集めることができました。 「ようやく前にすすめる!」。そう思った中村は、集まってくれた3人に一生懸命こう説明しました。 「この中に魚が入って、これを上手く獲れたら皆さんの生活が潤うんです。わかりますか」 中村の指導によってなんとか魚は獲れたものの、まだまだ漁の初心者。船も小さいものしか用意できず、思っていたほどの成果は上がりません。せっかく集まった人たちも一人、また一人とさっていきました。 「どうしたらいいんだ。こんないい漁場が広がっているというのに」。肩を落としたその時、何かが目に入ります。それは海岸に捨てられているタイヤでした。手に取って中を見た中村は、「これだ!」とひらめきました。 そこには生きたマダコがいたのです。モーリタニアの海には、上質なマダコが多数棲息していることに気づきました。国を救う一大産業になる可能性を見出した中村はワクワクしました。 「今日からタコ漁を始めましょう!」。しかし住民は思いがけない反応を示します。 「そんな気持ち悪いもの、獲ってどうするんだ?」 彼らはタコを食べないどころか、タコは「悪魔の使い」として触ることすら嫌がっていたのです。 でも「あなたたちが食べなくても、他の国に輸出できるんです!」 それが結局、国の経済を救うことになった。 恩義に感じていてくれるのである。
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