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今日の誕生花――12月7日 イノモトソウ


今日の誕生花――12月8日 アシ



写真:「師走を迎えた飯田」(平岩祥平・木器)

豊丘村~高森町山吹地籍の大橋を望む。


中央アルプス、空木岳方面を望む。(豊丘村・高台で撮影)


今季、一番の冷え込み:マイナス5度(12/06)・・・ネギ等は美味しくなる様です。


恵那山の雪景色(12/06)


11月28日夜の雨で標高の高い山は雪景色です。


天竜川付近の夕暮れ



◆12~1月の壁紙カレンダー◆

(このカレンダーをPCのデスクトップ壁紙として使うには画面を右クリック、
「名前を付けて画像を保存」を選んでPCの任意の場所に保存し、
保存されたファイルをまた右クリックして「デスクトップの背景として設定」をクリックする)

♪「八十路のデュエット」――ル・クプル・コーノ
♪クシコスポスト、♪トルコマーチ、♪荒城の月
♪「八十路のデュエット」2――ル・クプル・コーノ
♪ムーン・リバー、♪埴生の宿、♪旅愁
(上の下線部分をクリックしてください)

◆「日本最大の谷」=2大アルプスに挟まれた「伊那谷」◆

(写真上「中央アルプス」:柏雀。写真下「南アルプス」中「伊那谷・天竜峡」:平岩祥平)

熊伏山上空5000mから見た伊那谷のカシミール画像(柏雀)





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 中日新聞記事(12/06)  投稿者:ひらいわ  投稿日:2025年12月07日 (日) 10時12分 [返信] No.3089











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 死ぬ経験  投稿者:木器  投稿日:2025年12月07日 (日) 09時29分 [返信] No.3088

 穏やかならざる題名を付けてしまいましたが、昨日、「死ぬ経験」をしてきました。
 何のことはない、胃カメラ検査のとき打つ鎮静剤のことです。

 経験者は多いと思いますが、最初、この鎮静剤、全身麻酔と同じものと思っていました。
 医学的には別ものらしく、全身麻酔は自発呼吸はできないので吸入を行うとか、鎮静剤はうとうと状態なので自発呼吸はもちろん、無意識ながら呼びかけへの反応もできる、とか言います。

 このところ飲み会・食べ会・歌い会が続き、ちょっと胃をやられまして、さっぱり調子が戻らないので胃カメラで検診しました。結果は何にも悪い兆候は認められず、いくらなんでもそこまで使いすぎることはナイゾウという内蔵酷使に対するナイゾウ反逆だったのではないか、と反省しています。

 しかし変なもので、木器の場合、この胃カメラのときの鎮静剤というのが、非常に「楽しみ」といってはいけないのかもしれませんが、「興味」を感じてしかたないのです。

 看護師にベッドでの横たわり方を指導され、背中を後ろの手すりにぴったりくっつけるように横向きになって医者を待ちます。
 次に口にマウスピースをくわえさせられ、注射を打ちますよ、と言われて、ああこれが効くと意識を失うんだよな、と思って興味深く己の意識の消失経過を意識します。
 そして次に横向きの姿勢がちょっと窮屈なので、姿勢を直そうとすると、あれ?寝ている場所が違う、そうだ!もうすべて終わったんだ、と身じろぎして、荷物かごに入れてあったスマホを見ると、すでにベッドに昇った時間から2時間近く経過しています。

 この2時間、自分という存在はまったく意識されないで、ある意味では「死んでいた」わけです。
 注射が効いてくるかなと思った瞬間、まったく意識に捉えられることなく意識が失われる、まあ、当然のことながら意識がなくなるということは、意識がなくなること自体を意識できない、つまり人間は死ぬときには自分の死を認識できないわけですから、「自分にとっての死は存在しない」という哲学者の言葉に納得します。

 そして言い換えれば、逆説的ですが、これこそが、絶対経験できないはずの「自分の死」の経験ということになるだろうとベッドで再認識しました。

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 わが人生に悔いあり  投稿者:木器  投稿日:2025年12月02日 (火) 16時07分 [返信] No.3087

 まえの投稿であげた白内障の歌の作者・永田和宏の名が、なぜか気になりました。
 どこかで見たような気がしたので、検索してみたら、心に沁みるような感性で数々の賞を受けたあの有名な歌人・河野裕子の夫でした。

 ここに生まれたのが、現代の「相聞歌」と言われる夫婦愛の歌でした。
 このあたりはベストセラーにもなった『たとへば君 四十年の恋歌』に明らかです。学生時代の出会いに始まり、妻が闘病の末に先立つまでの40年間が、互いの短歌と散文で表現されています。

 この本のタイトルにもなった、二人の関係の始まりを象徴する、河野さんの最も有名な一首。

「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうにわたしを攫つて行つてはくれぬか」(河野)

 そして幸せだった二人の生活に、妻の病気が影を落とします。

「きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり」(永田)

「一日に何度も笑ふ笑ひ声と笑ひ顔を君に残すため」(河野)

「わたくしは死んではいけないわたくしが死ぬときあなたがほんたうに死ぬ」(永田)

「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」(河野)

「あほやなあと笑ひのけぞりまた笑ふあなたの椅子にあなたがゐない」(永田)

 胸が痛みます。

 そしてこの胸の痛み中で、なおビックリなのは、当方が不勉強だったに過ぎないのですが、二人が歌人として育ち、属した短歌結社は「塔」だったということ!

 この「塔」というのは、木器が大学時代、憧れてお宅にも伺ったドイツ文学の教授(当時は助教授)の高安国世先生が始めたものだったのです。
 先生はリルケの研究で有名で、その後、カフカの翻訳も世に出しています。自らが歌人でありながら、異国の詩を翻訳するその姿に、もう理想的な憧れを持ちました。
 でも喘息の持病をお持ちで、病弱なのが気になりました。

 まだ大学も新入りほやほやのころお宅に伺って、「高安月郊というのは先生の伯父さんに当たるんですか?」と、よくも知らないのに生意気な質問をしたら、「そうですが、よく知っていますね。古い人なのに……」とほめてくれました。

 しかし、ほめられたのは後にも先にもこの一度だけ。学生に甘い土地柄に甘えて、分のいいアルバイトと〝人生勉強〟に打ち込みすぎ、ちゃんと学科勉強をしないまま卒業してしまいました。
 最後のお別れパーティでも、先生に顔向けできず、ろくにお話もできないままお別れしてしまいました。

 その先生の教えを受けたのが永田さんであり、のちに「塔」を率いることになるのが河野さんだったというわけです。さらには今、読売歌壇の選者をやっている栗木京子さんも、高安先生の弟子筋にあたるはずです。

 そんなこんな、今更悔やんでも仕方ありませんが、もっとちゃんと勉強していれば、高安先生とのご縁も続き、こうした素晴らしい歌人ともお付き合いできたかもしれないのに。
「わが人生に悔いなし」とは、木器の場合、なかなかいかないようです。

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 共通体験  投稿者:木器  投稿日:2025年12月02日 (火) 10時49分 [返信] No.3086

 柏雀さんの写真、諏訪神社はほんと懐かしい。この茅の輪くぐりも、何年もまえのことなのに昨日のように思い出します。
 木器の場合、柏雀さんのように「罪穢れを祓い清めてきました」とは言えないにしても、こうした共通体験があるとなんか「そうそう!そうそう!」と言いたくなりうれしくなります。

 共通体験と言えば、昨日と今日、新聞の短歌でまさに共通体験を読ませてもらいました。
 茅の輪くぐりとはまた別世界の白内障体験ですが……。
 一つはこれ。昨日の読売歌壇です。

「まじまじとつくづくと見る白内障術後の眼(まなこ)に憂鬱の鬱」(静岡市 簾田淳美)

 そしてもう一つは、今日のコラム「四季」(長谷川櫂)。

「水晶体を砕くかすかな音はしてもうちよつとですといふ声もする」(永田和宏)

 解説にこうありました。
 ――某日、京都大学病院。白内障手術を受けながら冷静に観察している。医学部、理学部 (作者 )と異なっても、同じ研究者同士の黙契のうちに進められているのだろう。「水晶体を砕く」という表現、門外漢には驚き。歌集『わすれ貝』から。――

 それにしても柏雀さんの散歩コースというのは、そうとうなもんですね。諏訪神社は流山市のはじっこで、柏雀邸からだと直線距離でも3キロ以上あるでしょう?
 どのコースで歩いたら何キロで何時間かかるか、教えてください。

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 今日から師走  投稿者:柏雀  投稿日:2025年12月01日 (月) 23時38分 [返信] No.3085

 時の経つのは本当に速いですね。

 今日からもう12月。散歩コースにある諏訪神社の境内には、いつものように茅の輪が設置されました。

 柏雀もさっそく、茅の輪をくぐって罪穢れを祓い清めてきました。

 そう言えば、先日、飯田線の秘境駅ということで、テレビが「田本駅」と泰阜村も取り上げていましたね。

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 東京でも楽しめる秋の桜  投稿者:木器  投稿日:2025年11月28日 (金) 09時09分 [返信] No.3083

 平岩さんのおかげで、四季桜と紅葉の揃い踏みを楽しませてもらって帰ってきました。
 帰ってきて見たら、そう言えば東京でも春の桜だけでなく、秋の桜が楽しめる場所があるなーと気づきました。

 それはどこかと聞かれたら、そこら中で見られるでしょう多分、と答えるしかありませんが。
 春に満開の桜を楽しんだ、その桜の木が今や紅葉のまっさかりですもんね。

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 NHKラジオで全国放送される!  投稿者:ひらいわ  投稿日:2025年11月28日 (金) 09時06分 [返信] No.3082

飯田焼肉が、NHKラジオ第1、28日(金)午後5時5分から放送される様です。

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 また飯田です  投稿者:木器  投稿日:2025年11月22日 (土) 05時00分 [返信] No.3081

 22日から25日まで飯田です。
 掲示板の更新ができない可能性があるので、誕生花はまとめてアップしてあります。
 留守中でも閲覧と簡単な投稿はしようと思いますので、どんどん投稿お願いします。

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 盆栽  投稿者:柏雀  投稿日:2025年11月21日 (金) 22時47分 [返信] No.3080

 埼玉県の大宮に盆栽美術館があり、今日は年寄りのグループと一緒に見学に行ってきた。

 いろいろ素晴らしいのが展示されていたが、樹齢推定1000年という蝦夷松の盆栽もあった。(写真)

 蝦夷松は、日本では北海道と例外的に岩手県の一部にしか自生していない由なので、当然、交通の便が良くなってから現地で採取したものを持ち帰えり、盆栽に仕立てたものと想像するが、それにしても、千年というのは??と思いながら帰ってきた。

 それとも、道長の時代に、都に蝦夷松の盆栽がすでにあった?

 何れにしても、こういうものは、素直に観て素直に感心していればいいのでしょうね。

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 ラオス(2)  投稿者:柏雀  投稿日:2025年11月18日 (火) 14時53分 [返信] No.3079

 たしかに、故坂牧嘉昭さん夫妻ですね。本当に懐かしいです。

 ところで、あのラオス旅行の時の写真を見たいと外付けSSDの中をさがしたが見つからない。

 柏雀がデジカメを導入したのは2002年11月だから、あの旅行はそれより前だったんでしょうか。ずいぶんと昔のことなってしまいました。

 あの時のアルバムは、たぶん押入れの天袋にしまってあるはずですが、肩が痛くて取り出すのが億劫で。トシをとったものです

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 ラオス  投稿者:コーメイ  投稿日:2025年11月16日 (日) 21時30分 [返信] No.3078

 愛子様がラオスを訪問なさるそうです。

 天皇陛下が皇太子時代、ラオスを訪問されていて、そのときのご様子がこれです。
https://www.youtube.com/watch... 

 この動画の46秒過ぎあたり、画面の左上の観客席と思しきところに、3人並んでいる人が確認できますが、この左の男性とすぐ横は、故坂牧嘉昭さんご夫妻です。当時、JICAでラオスに赴任、活躍されていました。

 ご夫妻ご案内の三五会有志によるラオス旅行も懐かしく思い出されます。


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 年寄りの焼肉  投稿者:木器  投稿日:2025年11月16日 (日) 03時54分 [返信] No.3077

「年寄りの冷や水」という言葉がありますね。
 年に似合わぬ無理をするとひどい目に合うよという警告なんでしょうが、ま、70超えてから天竜川をゴムボートで下るラフティングを何度もやったときは、南信州新聞にも書かせていただいたように、まさに「年寄りの冷や水」でした。

 でもその記事には、「こんなに楽しい年寄りの冷や水はない!」というタイトルがついていて、結局、80過ぎまで若い人たちと一緒に楽しんだものです。

 それに比べれば、島田坊やさんが言われるように、「高齢になった今は、焼肉にはなかなか出会がない」というのは、あまりにもモッタゲナイんじゃありませんか?
 木器などは、田舎に帰るたびに焼肉です。東京方面からわざわざ飯田の出前焼肉をやりたいと訪ねてくる人たちもいるので、それ用に長い焼肉用テーブルまで庭に作ってしまいました。

 ぜひ一度このテーブルで、三五会の皆さんと焼肉パーティをやってみたいと念願しています。
 思い返せば、飯田の三五会の定例会のたびに故朝本さん経営の「くるきや」さんで焼肉だったのは、ついこの間のような気がします。
 飯田三五会は、焼肉で育ったようなもの、ではないでしょうか。

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 伊那谷 2  投稿者:柏雀  投稿日:2025年11月15日 (土) 04時59分 [返信] No.3076

(管理者:柏雀さんから13日の投稿の鮮明な画像が届きました。さらに見やすくするためトップページにもアップさせていただきます)


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 飯田の焼肉  投稿者:柏雀  投稿日:2025年11月14日 (金) 17時09分 [返信] No.3075

 飯田の焼肉の話、認識を新たにしなければならないようですね。

 というのも、昨年の9月6日に、ワタクシ、この掲示板でまだこんなことをほざいておりました。

 いったん焼き付いてしまった故郷のイメージは、トシをとってから変えるのはなかなか難しいようです。

『見ましたよ~

 飯田の焼肉は、少し前(と言っても今年になってからだった
 かな?)NHK(BS)の 「Cool Japan」でも取り上げていまし
 たね。

 その時も感じたのですが、十九のトシに故郷を離れた柏雀に
 は、どこの飯田の話?といったところです。

 飯田の在で生まれたワタクシは、小さいころ、肉を口にした
 のは年に2~3回。我が家がことのほか貧しかったせいかも
 知れませんが。

 学生寮の4年、社員寮の3年半の粗食に耐えて、新婚旅行で
 泊まったホテルで食べたミディアムのステーキに「中が焼け
 てないんじゃない?」と顔を見合わせたぐらいで、それほど
 肉には縁がなかった。

 あれから半世紀以上。あの番組を見ていて思いましたね、天
 下泰平、つくづくいい世の中になったものだ、今の幸せが続
 きますようにと。

 ま、食えるうちに食っておいたらいいんじゃないでしょう
 か。明日のことはわからないし、自由に食べられない時代が
 きっと来るから。』

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 南アの影  投稿者:木器  投稿日:2025年11月14日 (金) 09時13分 [返信] No.3074

 この写真など、まさに南アの影が中央アルプスに映っていると思いますが……。

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 罪滅ぼし  投稿者:木器  投稿日:2025年11月14日 (金) 08時51分 [返信] No.3073

 まえの投稿の後、ちょっと後悔しています。年末の『第九』を楽しみにしている人に失礼だったかもしれません。
 その罪滅ぼしもかねて、思い出したのは、木器があの東日本大震災の年、中止になるかと思っていた『第九』のコンサートがなんとか開かれて出かけ、そこで急遽、はじめに演奏された『カンタベリー・コラール』という曲のことでした。

 当時、まだ世の中は当然ながら、コンサートどころではない気分が漂っていました。その中で『第九』に先だって演奏されたこの曲は、会場全体がシーンと静まる中、何といったらいいか、思わずだれもがこうべを下げてしまうような敬虔な雰囲気を漂わせて流れました。
 とくに最後のところ、教会の鐘の音のようなチャイムの音がかすかに鳴って終わるところが印象に残っています。

 作曲者、ヤン・ヴァン・デル・ロースト自身が客演で指揮した演奏がありましたので挙げておきます。
 https://youtu.be/7nJm7...

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 飯田市は焼肉天国とやら  投稿者:島田坊や   投稿日:2025年11月13日 (木) 20時40分 [返信] No.3072

 我々が高校生の頃、飯田の焼肉はこんなに大きく取り扱われていただろうか・・・? 
 今や人口割合で日本一焼肉店が多いそうな・・。飯田、北見、石垣の3市で日本縦断焼肉連携協議会まで結成されているとか・・・。
  
 11月は「飯田焼肉月間」に合わせ、11/29には同協議会主催の「焼肉のまちシンポジウム」が開催予定である・・。
 確かに若い頃は部落の行事等では、よく焼肉パーティーをやった思い出はあるが、高齢になった今は、焼肉にはなかなか出会がないのが現状だ・・・。

 でも今の飯田市の一つの文化でもあるので、関係資料を添付するので、ご遠方の方々故郷飯田の現況の一つの文化をお読み取り下さい・・・。
 
 

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 カシミール画像  投稿者:木器  投稿日:2025年11月13日 (木) 15時46分 [返信] No.3071

 柏雀さん、ありがとうございます。このカシミール画像、やはりいいですね。伊那谷の周辺がじつによく見て取れます。

 もしもっとサイズの大きい画像(JPGでもPDFでも当方で開くことができるものなら何でも)があれば、それをEメール添付で送っていただけば、投稿欄の写真スペース以上の大きさで掲載できますので、送っていただけませんか。

 それとあの「日本最大の谷」の中央アルプスの写真は、早朝、南アの影を意識されていましたか? やはりこの驚愕の写真誕生の真相を教えてください。
 それと、影のどのあたりが南アの何岳あたりになるか……までは、ちょっとムリですか?

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 伊那谷  投稿者:柏雀  投稿日:2025年11月13日 (木) 11時19分 [返信] No.3070

 wikipediaの写真とほぼ同じ位置(熊伏山上空5000m)から見た画像をカシミールに作ってもらいました。

 (ここにアップする時にファイル形式を変えると解像度が落ちてしまうようです。クリックして拡大すれば、飯田の位置は何とか分かると思います。)

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 大苦と勘気  投稿者:木器  投稿日:2025年11月13日 (木) 09時52分 [返信] No.3069

 早くも「よいお年を」のセリフを聞いたばかりですが、それに加えてすでにあちこちで年末の恒例、『第九』の演奏会の案内を見かけます。
 過去には何回かこの案内に応じて、世間並みに年末『第九』のコンサートに出かけましたが、今年はさっぱりその気になれません。

 世界のあちこちで人の殺し合いが続いており、申し訳ないくらい平和と言われた日本でも、野山どころか市街地にまで殺気立った熊やイノシシ、野猿などの野生動物が現れて人間を襲います。

 この野生動物の恐怖は、先日も書いた吉村昭の小説『羆嵐』の世界に近いものを感じさせます。何がどう狂ってきたのでしょうか。
 狂っているのは人間のほうで、その人間の所業に神々の怒りが降りかかっているような気もします。

 そんな中で『第九』で歌われる「歓喜の歌」が、何か空々しく響いてしまうのです。

 昨日も整形外科に行く自転車をこぎながら、ふとその歌詞が口を突いて出ましたが、「歓喜よ、神々の美しい霊感よ。我々は火のように酔いしれて汝の聖地に入る。汝の魔力が過去の断絶を繕い、すべての人類は兄弟になる。汝の柔らかな翼があるところ……」と歌われても、大体その火のように酔いしれるほどの「歓喜」そのものが、今の世になじみがないではないか。

 あとに続く歌の内容も、「大きな成功を勝ち取った者」「心優しき妻を得た者」「一人でも心を分かち合う友を得た者」などは、歓喜せよ、それがどうしてもできなかった者は、泣く泣くこの輪から去るがいい、と来て、冷たいなーと感じます。

 ただ次には、すべての生き物は自然の乳房から歓喜を飲み、善人も悪人も自然の恵みを受けるし、虫けらのようなものにも快楽は与えられると、急に寛大になります。

 そして一転、励ましの言葉の連続となり、天の星が駆け巡るように、兄弟よ自らの道を進め、英雄が勝利を目指すように、抱き合おう、全世界に口づけを、創造主を信じ、星空の上に神を求めよ、星の彼方に必ず神は住んでいるのだから……。

 って言われても、今の世の中は「第九」も「大苦」に聞こえ、「歓喜」もむしろ神々から下された「勘気」(怒り)ではないか、と思えてしらじらしてしまうんですよね。

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