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百聞は一見にしかず(泉南アスベスト被害を見学) |
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ヤマユリ
(1828)投稿日:2006年11月06日 (月) 21時13分
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大阪市内より、和歌山に行く方が早そうな、南海本線「樽井」駅で下車し、バスで回りました。のどかなところですが、泉南で石綿製品を全国の6〜7割も生産されていたとは知りませんでした。江戸時代から木綿の紡績と織布が盛んだった土台があり、その機械を石綿糸に使い石綿の生産を始めた。稲作のための水車を動力にし、堺から石綿の原石(石なのに崩すと繊維状になる)を一日で運べるなどの条件が石綿業の発展の基盤になった。 でも、大きな工場といっても2、30人規模の工場が4〜5社しかない。ほとんどが零細工場、家内工場だった。石綿のリボンや布を織る内職も多くその行程もアスベストを多く吸い込むそうだ。 その泉南の地を訪れ、「泉南地域の石綿被害と市民の会」の方に案内をしてもらい工場の跡を歩いた。川の土手にいくつかの工場が固まっていた名残があった。そこは工場を建てた人々が石綿村」と呼んでいた。石綿村の工場のまわりには畑がたくさんあった。そんなところばかりではなく、ほとんどの工場は民家の集落にあり、工場の粉塵がまともに飛んでくるところに家があり、住民や工場のすぐそばで毎日農作業をしている人々が被害にあっている。 当時は、工場に集塵機もなく、換気扇で工場に舞い上がった石綿の繊維(肺結核菌ぐらいの大きさだそうだ)を外に吐き出し、窓も開けて仕事をしていたので工場の横の道は真っ白だったそうだ。石綿の白い綿ぼこりがまわりの建物の壁にふきつけられたようについていた。 驚いたのは、数年前まで石綿(アスベスト)の生産をし今も石綿の代替製品を作っている工場のすぐ隣に中学校と高校があった。 他の工場ではすぐそばに幼稚園があるそうだ。
バスでまわりながら市民の会の方の解説を聞いた後、公民館で労災関係の病院で研究されている方の話を聞いた。写真もたくさん見ながら医学的なことや救済基準などを聞いた。水俣病を思い出したが、「石綿肺」と呼ばれる石綿を大量に吸ったためにおこる病気が対象外だというのがひどいと思った。中皮腫やアスベストによると認められた肺ガンなどは対象になるが、中皮腫がアスベストの暴露が少量でも発病すること、20〜40年たってから発症すること、発症すると生存率がかなり低いことを知りショックを受けた。 もう何年かすると毎日のようにお葬式が・・・と原告の方が話されたことが現実に起こりそうな気がした。 工場の経営者は、「石綿は肺には悪くないから」と労働者には言い、子どもが生まれてやめようとしたら「工場に子どもを連れてきてもいいから働いてくれないか」と頼まれたぐらい儲かった時代だった。その工場で幼少期を過ごしたという方(原告)の話も聞いた。工場の経営者も被害を受け、息子さんも大学生の時に肺病でなくなっているという。ほとんどが零細工場だったので経営者も労働者も被害者だった。 地域住民である原告の方の話も聞いた。何度も工場に訴えたけど「中で働いている人たちの方が、ほこりはひどいのにこんなにぴんぴんしている」と言われ、取り合おうとしなかったそうだ。 工場のまどのすぐ下の畑で農作業していた父が突然呼吸困難になり、13年も苦しみ続けてなくなり国家賠償請求訴訟を闘っておられる。 薬害エイズと同じだと思ったが、外国では危険性が明らかになり、生産をやめているのに、日本はなかなか禁止しなかった。 泉南の町医者などが戦前から石綿は危険だと訴えていたのに政府は規制しようとしなかったことなどを聞き、国の責任をはっきりさせ被害者の救済をきちんとしてもらいたいと思った。 アスベストの被害は、「ストック公害」と言われあらゆるところにあるアスベストの被害がますます深刻化するだろうと言う。 いろいろ学び、ぜひ教材化したいと思った。長野の小山さんがアスベストの大手企業「ニチアス」のすぐそばの中学校で実践をされているので小山さんからも学びたいと思う。
実は、うちの屋根アスベストを使った波形スレート屋根です。すぐ隣の工場の屋根も横のかべも。まわりはアスベストだらけ・・・講師の方がおっしゃってました。アスベストを吸って肺ガンになる確率は5.2倍だけれど、アスベスト+タバコは53.2倍だそうです。相談に来られたらまず禁煙をすすめるそうです。
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