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ちょっと遅れた反響ですが |
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ヤマユリ
(1744)投稿日:2006年02月21日 (火) 23時28分
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みんなに負けじと私のクラスの反響を報告。 今日は、うちも参観と懇談でした。 参観は子どもたちに発表をさせたかったので学習発表会にしました。そのあとの懇談会で2学期の飢餓問題や募金活動の実践が子どもたちにとても良い経験になりすごく自分に自信がついてよかったという話が出され、他の人も次々とそのことを話題にして「あれはよかったですね。市のすこやか大賞にかってに応募しました」とか「このクラスからホワイトバンドを広げてあんなに盛りあがってよかったですね。」とどんどん言ってもらったのがうれしかったです。 その他にもとてもいい話題で語り会えたと思うことの一つが「死について」でした。参観での発表の中で4人の女の子が劇をしたのですがそのストーリーにショックを受けたとその4人の女の子のうちの一人のお母さんが発言されました。その劇は教室での物語で仲の良い子がちょっとしたことでの仲間割れから二人が一人を殺してしまって少年院に行くという展開でした。最後のおちがよくわからなかったのですが二人が少年院から戻ると死んだ子が生きていてそれはゆめだったというストーリーでした。 演技もうまくて演出もよく考えていましたが今の子のこういう感覚はどうなのかということでいろんな意見が出てよかったです。 身近な親戚の死(お母さんは妹さんを自殺でなくしとてもショックを受けておられた)を経験してても「死んだ人はなんらかの形で生き返るからいいねん。」という考えをうちの子はしてるのでこれは大変と思ったというお母さん。 今の子が見ているドラマはちょっと見てると「エ〜!!?」と驚くような昔とは比べものにならない人権や命を軽々しく扱っているのが多いことを知り、自分は身近な人の死でショックを受けたということを子どもに語るようにしていますといお母さん。 携帯の写メールで死んだ人の写真をとってもいいという人が20代30代の人にすごく多いという記事を見て時代はとんでもないこ方向に進んでいるんだと感じた。 青年の間でも人が死にかけているような写真を写メールで回している。 など子どもは、劇と現実は違うと分けて考えているかもしれないけど時代はすごい勢いで変化しているから今こそ命の尊さを大人がしっかり語らなくてはいけないなという話になりました。 「先生、どうですか?何か予定はありますか?」 とお母さん方の期待の眼差しを向けられ、私がこだわっている「命の重みは平等」について我が子をなくした経験のことも含め飢餓問題もそういう願いがあってとりくんだこと、今取り組んでいるタバコや薬物もそれにつながっていること。どこかで自分の体験も子どもたちに話したいと思っていたのが今日の話を聞いてぜひ話さなくてはと思ったと言いました。 ちょうど良い機会なので「死や命」について、ここまでお母さん達も考えて話し合ったということを子どもたちに伝えて「学習発表会の劇」について話し合ってみたいと言いました。
そのほかにも携帯を持たせることについてどうかという話も盛り上がりました。中2の姉がいるお母さんの話では「みんな携帯持ってるもんというけどみんなってどれだけなのか懇談で話題になり半分ぐらいの子が親の携帯を使うのも含めて使っているとわかりました。」と言われました。「学生のうちはいらんよ。緊急に連絡するのなら学校にかければいいのだから。高校ぐらいになると言いにくいこともメールでというのも必要かもしれないけど中学生で親子でメールでだと話せるなんてあかん。中学生はまだ目を見て話さなあかん。」とか親も知っているという間でだけ親の携帯を共有してメールのやりとりを許してるという家もあります。でもメールはお互い見ないという約束だけど見つからないようにしっかりチェックしてますとなどなど・・・ 奈良大会での中西新太郎さんの講演を思い出し、あの話のとおりだなと思うことばかりでした。お母さん達の話がどの意見もなるほどと思うことがたくさん出されるので私もたくさん学ばせてもらった懇談会でした。
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