知識は力なり

「歴史とは、現在と過去との絶え間ない対話である」
(An unending dialogue between the present and the past.)


現在と過去の出来事とのつながり、
そして今後の未来で何が起こるのか?
世界情勢はどこへ向かっていくのか?


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[768]

題名:「天皇殺し」の運命を背負った英雄の正体 『承久の乱』③

名前:John Wick

◇k8CEMMB/ao
MAIL 投稿日: 2024/04/26(金) 18:09 2607:740:5e:3000:f3e6:e175:b9c1:8723(IPv6:) (2607:740:5e:3000:f3e6:e175:b9c1:8723)


800年前に起きた皇室の危機

遡ること802年前。

承久の乱で、
後鳥羽上皇が鎌倉幕府と戦い、
上皇側が敗れた。

戦いに敗れた上皇は
島流しされることが決まる。

その矛先は上皇だけでなく、
彼の子孫にも向き、
後鳥羽上皇の一族は皇室から
姿を消すものだと思われていた。

しかし、承久の乱から21年後、
驚きの出来事が起きた。

後鳥羽上皇の孫が
皇統に返り咲いたのだ。

当時、上皇を倒した北条氏は、
上皇を処刑し、皇室を廃止し、
新しい王朝を立てることもできた。

ましてや、自分に反旗を翻してきた
上皇の子孫を皇位に復帰させることなど、
当時の人からしても考えられない話であった。

実際、世界に目を向けてみると、
ロシア革命で敗れたロシア皇帝は
婦女子に至るまで一族が
大虐殺されている。

しかし、
鎌倉幕府は後鳥羽上皇の
孫を皇統に復帰させるだけでなく、
のちに皇位につけるまでしていた。

当時の常識から考えても、
海外の事例を考えても、
鎌倉幕府の上皇への扱いは寛大どころか、
危機管理が薄いようにも見える。

たとえ、自分と戦った
上皇であっても処刑はしない日本。

婦女子に至るまで王族を大虐殺するロシア。

この違いは何なのだろうか?

実は、海外の常識からして
考えられない皇室への処置は、
この時代のことだけではなかった。

戦国、江戸、昭和と
似たような逸話が残っており、
そこには皇室が2600年も続いてきた
秘密を解くカギが隠されていた




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