知識は力なり

「歴史とは、現在と過去との絶え間ない対話である」
(An unending dialogue between the present and the past.)


現在と過去の出来事とのつながり、
そして今後の未来で何が起こるのか?
世界情勢はどこへ向かっていくのか?


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[758]

題名:なぜ、聖徳太子は教科書から消されかけたのか? ④

名前:John Wick

◇k8CEMMB/ao
MAIL 投稿日: 2024/04/23(火) 19:00 2607:740:5e:3000:f3e6:e175:b9c1:8723(IPv6:) (2607:740:5e:3000:f3e6:e175:b9c1:8723)

実際、崇峻天皇までの天皇陛下は天皇の血をひいているという伝統の権威があ
ることはもちろん、

政治のトップに君臨していて、絶大な権力を握っていました。

そしてこのような「権威」と「権力」を握った一人の人物がいると必ず闘争が
起こるということを歴史が証明しています。

例えば、海外の王様の一族は権威はもちろん、絶大な権力を持っているため、
権力の奪い合いが頻繁に起こりました。

スペインの王の座をフランス人が奪ったり、イギリスの王の座をドイツ人が奪
ったり泥沼の戦争が絶えず起きてしまったのです。

実際、欧州では14世紀から18 世紀の間だけで、20回以上も王位継承権を巡っ
て戦争が勃発し、権力闘争が繰り返されています。

欧州だけではありません。

中国でも、今まで80回以上王朝が入れ替わり、平均すると25年で王朝が変わり、
その度に権力闘争が起こっています。

このように「一人の人間が絶大な権力を持つ構造」の国では、その権力を巡っ
て何度も争いが起こってきたのです。

このような構造を理解した聖徳太子は、彼以前も以後も世界中の誰も考えつか
なかった戦略を見出したのです。

日本だけ万世一系の皇統2000年が続くカラクリ

聖徳太子が考えた戦略とは、「権威」も「権力」も持っていた天皇から
「権力」を切り離すことでした。

つまり、「権威」も「権力」も持っていた天皇から「権力」を切り離すことで、
天皇は極力、政治の表舞台には立たない構造にしたのです。

先程も述べたように、次の天皇に聖徳太子がなることはできたのですが、あえ
て自分は天皇の座を捨て、政治のトップとして権力を握ることにしました。

そうして、推古天皇を天皇にし、自分は日本初の摂政となったのです。

つまり、聖徳太子が政治の表舞台に立ち、推古天皇は政治に関わらず、権威と
して日本を支える存在となったのです。

実際、推古天皇は隋の使者の接見すらせず、聖徳太子に任せていました。

こうすることで、政治の表舞台に立たない天皇は権力闘争に巻き込まれること
は無くなったのです。




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