知識は力なり

「歴史とは、現在と過去との絶え間ない対話である」
(An unending dialogue between the present and the past.)


現在と過去の出来事とのつながり、
そして今後の未来で何が起こるのか?
世界情勢はどこへ向かっていくのか?


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題名:Re:

名前:偽りの代償

◇/g0ykgyHZw
MAIL 投稿日: 2024/04/04(木) 22:38 2a09:2dc0:0:9000:1fb:3b0b:97dd:baf4(IPv6:ua-vsys-20190124) (2a09:2dc0:0:9000:1fb:3b0b:97dd:baf4)

法華経の末法思想は言うまでもなく、薬王菩薩本事品に基づきます。

「宿王華、此の薬王菩薩本事品を以て汝に嘱累す。我が滅度の後後の五百歳
の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼
等に其の便を得せしむることなかれ」

梵本では

「ナクシャトラ=ラージャ=サンクスミタ=アビジュニャよ、偉大なる志を
持つ求法者(ぐほうしゃ)『サヴァサットヴァ=プリヤダルシャナの前世の因
縁』の章(薬王菩薩本事品)が最後の時であり、最後の機会である最後の五十
年の経過している間に、このジャンプ=ドゥヴィーパに行なわれて、消滅しな
いように、また魔王パーピーヤス(波旬)が襲撃の機会を得ず、悪魔の眷属や
神や、竜、ヤクシャ、ガンダルヴァ、クンバーンダどもが襲撃の機会を与えな
いように、余はそれを汝に委ねよう」(『法華経・下』岩本訳、岩波文庫 P20
7)

つまり、
法華経における末法広宣流布とは宿王華に属し、薬王菩薩本事品を釈尊滅後50
0年の間に広宣流布することを意味したものでした。

大集経三時説とはなんら関係を認められません。

さらに梵本では釈尊滅後500年ではなく、50年であるとされる点も注視されま
す。

ここで言われる500年(50年)は2000年を経た次の年を言うのではなく、釈尊
滅後の日から500年(50年)を言うものです。

敢えて大集経に当て嵌めても正法を言い、紀元前の話に属することになります。

本より、大集経が釈尊に由来するわけもなく、悠久の大地、絶えず流れるガ
ンジス川に浴しながら時間経過の概念がないのがインド人の思惟といいます。
そこで三時観があるとすれば、それはこの思惟法と違和を生じるでしょう。

さらに言えば法華経における寿量仏は「常住此説法」なのであって、三時観が
そこに看取できるはずはありません。

聖人の教判に種脱相対はないと判断しています。寛師の独自の発想でしょう。




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