知識は力なり

「歴史とは、現在と過去との絶え間ない対話である」
(An unending dialogue between the present and the past.)


現在と過去の出来事とのつながり、
そして今後の未来で何が起こるのか?
世界情勢はどこへ向かっていくのか?


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題名:Re:

名前:偽りの代償

◇/g0ykgyHZw
MAIL 投稿日: 2024/04/02(火) 23:30 2a09:2dc0:0:9000:1fb:3b0b:97dd:baf4(IPv6:ua-vsys-20190124) (2a09:2dc0:0:9000:1fb:3b0b:97dd:baf4)


先に挙げた『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』という題名が示すとおりです。
仏滅年代が違えば、日蓮の教学は瓦解します。日蓮の自覚も根本から覆ること
になりませんか。

日蓮教学を採用するというのであれば、鎌倉時代が末法であったこと、その説
が釈迦の直説であることを、証明しなければならないのは、その主張者のほう
です。日蓮の時代が仏滅2200年であると説明する義務は日蓮信徒が負っている
責務です。

西暦前後に創作された法華経が釈迦の直説ではないこと、日蓮は自分が釈迦滅
後2000~2500年に生きたとしたこと、しかし、その基礎の分析を間違えたと、
近代の科学成果から記したわけです。

真に迫る『開目抄』に「仏陀は三十成道より八十御入滅にいたるまで、五十年
が間一代の聖教を説給へり。一字一句皆真言なり。一文一偈妄語にあらず」と
記しています。ここに温度差はありません。

なぜ天竺を目指さないのか、日蓮はその点を(松野殿女房御返事 
真蹟 p1394)に

「此身延の沢と申処は甲斐国飯井野御牧三箇郷の内、波木井の郷の戌亥の隅に
あたりて候。北には身延嶽天をいただき、南には鷹取が嶽雲につづき、東には
天子の嶽日とたけをな(同)じ。西には又峨々として大山つづきて、しらね(
白根)の嶽にわたれり。暇のなく音天に響き、蝉のさゑづり地にみてり。天竺
の霊山此処に来れり、唐土の天台山親りこゝに見る。我が身は釈迦仏にあらず、
天台大師にてはなけれども、まかるまかる昼夜に法華経をよみ、朝暮に摩訶止
観を談ずれば、霊山浄土にも相似たり、天台山にも異ならず。」

と記しています。これが疑偽書ともなれば、

「我等が弟子檀那とならん人は、一歩を行かずして、天竺の霊山を見、本有の
寂光土へ昼夜に往復し給ふ事、うれしとも申す計り無し」
(最蓮房御返事 偽書)

ともなるわけですから、天竺は目指さないわけです。




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