[9819] 題名:彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱うる癩人とはなるべし (P260)
名前:末端信者
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投稿日:
2024/04/25(木) 07:56
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世の中でいかに位人臣を極めようとも、
南無妙法蓮華経と唱えることのできる大福運に比べればいかほどのこともない。
したがって自分が、どんな恵まれない境涯にあろうとも、
今、現実に題目を唱えることができるといことは、確たる仏法の正道なのであります。
その現在の一瞬に、苦楽一如、善悪一如の大生命力を涌現させるためにこそ、
大聖人は御本尊をしたためられたのであります。 報恩感謝、これにすぎるものはありません。
このことを、朝晩の唱題の際、深くかみしめることのできる日々でありたい。
「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが」うんぬんとあるのと同様、
”一人立つ精神” 一人が原点”に通ずると拝せましょう。
尽未来際を潤す清流が、大聖人御一人に源を発するように、
今や大河のごとく水かさを増しつつある私達の運動も、
もとはといえば、老齢の身を極寒の獄中に殉ぜられた初代会長牧口常三郎先生、
その遺志を継いで国破れた山河に一人立たれた二代会長戸田城聖先生の戦いに発しているのであります。
戦野がいかに多角化、重層化しようとも、 その運動がどれだけ進展し 価値を生んだかを測る尺度は、
それをとおして皆さん方一人一人がどれだけ境涯を開き、
人間革命の実証を示すことができたかに尽きるのであります。
その一点を抜きにした運動というものは、
どんなに華々しかろうと、広宣流布の名に値しない空転であるといっても過言ではない。