[9623] 題名:悪い予言★不幸な運命〜変えゆくための信心☆仏法
名前:続★斬り捨て御免!
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投稿日:
2024/04/05(金) 16:57
2400:2200:7d6:e018:16f9:8b98:20fe:3249(IPv6:sbb-ipv6-20050712) (2400:2200:7d6:e018:16f9:8b98:20fe:3249)
我《斬り捨て御免!》の過去の予言★再掲〜
してきたが未来☆がすでに決まっていて
その通りもしも変えられないものならば?
信仰する意味も価値もないに等しい〜
すでに定まった寿命〜でさえも
変えられる(変え得る)と
日蓮大聖人の仏法では教えている
その《宿命転換》こそが
信心の目的☆なのだ!
《9604》
池田先生指導(抜粋)です。
名前:末端信者
2024/04/04(木) 16:54
良い人を伸ばす。まじめな人を応援する。これが大事である。
反対に、ずるい人間や威張る人間とは、断固として戦う。正義の声をあげるのだ。
それでこそ、多くの友が、心晴れ晴れと前進していける。
遠慮などいらない。黙っていてはいけない。恩知らずや増上慢と戦うのが、人間の道、仏法の道である。
将来のために、申し上げておきたい。
戸田先生は語っておられた。
「何のための信心か。魔を打ち破るための信心である、宿業を打ち破るための信心である。
どのような障害物も堂々と乗り越えていく。この激流のような信心で勝ち進むのだ」
ともあれ、師弟不二の心がなくなったら、勝利はない。派閥ができ、団結が崩れる。もはや力は出ない。
そうなれば、我見と増上慢で仏罰を受けてしまう。
大聖人は、「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」と仰せになられている。
「異体同心」そして「師弟不二」の信心で、晴れ晴れと一生を送ることだ。
勝ち抜いて一生を送ることだ。 仏になって、最高の満足の一生を送ることだ。
増上慢が仏法を破壊する。人間を軽賤し、名利を貪り、権力の魔性と結託して正義の人を迫害する。
これほどの悪はない。
不惜身命で、増上慢と戦い、勝ってこそ、仏となることができる。
悪人たちは、すぐに野心で手を握る。だからこそ、善が勝つために、正義の連帯を広げていくのだ。
恩知らずを畜生といい、恩を知るを人という――これが、日蓮大聖人の心であり、釈尊の心である。
恩を知ってこそ人間である。恩知らずは、人間の顔をした畜生である。
どんなに世間的に偉くなろうと、その正体は畜生である。
恩を知るか、恩を知らないか――この一点が重要である。
日蓮大聖人は仰せである。
――恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一とする。世の中には、四つの恩がある。
これを知る者を人倫(人の道に適った人間)と名づけ、知らない者を畜生というのである――。
また、大聖人は教えておられる。
――老いた狐は、自分が生まれた古塚を忘れず、必ず後ろを向けずに死んでいく。
また、中国の武将・毛宝に助けられた白い亀は、後に毛宝が戦いに敗れると、
彼を背に乗せて、河を渡って助け、その恩に報いた。 畜生すら、このように恩を知り、恩に報いる。
まして人間が恩を知り、恩に報いないでよいはずがあろうか――。
これまでも、皆を指導するべき立場にありながら、学会への大恩を忘れ、裏切った人間が出た。
人間として、これ以上の恩知らずはいない。最高に厳しい仏罰を受けることは間違いない。
牧口先生、戸田先生の時代にも、幹部が退転した。 釈尊の時代には、提婆達多が出た。
大聖人、日興上人の時代には、五老僧が出た。 五老僧は、一番上の弟子である。 それが五人も裏切った。
不思議なことに、卑劣な退転者は、上のほうに現れる。 退転し、反逆して、最後に無残な仏罰を受ける。
それによって、厳しい因果律を明快に皆に見せていくのである。ここに、仏法における一つの方程式がある。
ゆえに立場が上になればなるほど、徹して自身を律していくことだ。 戒めていくことだ。
また、周囲も遠慮せず、意見を言っていくことだ。
忘恩――人間として、これほど恐ろしい犯罪はない。ずるく、卑しく、醜い生き方はない。
戸田先生のときの退転者も、先生から本当によく面倒をみてもらった人間だった。
その大恩を忘れて背き、敵になっていった。
こうした裏切り者に対する先生の怒りは、それはそれは、すさまじかった。
「大恩を受けたあいつが、どんな一生を送るか、どんな末路をたどるか、見てやれ!」 と
厳しく言い放たれていた。
なぜ、上の立場の人間が裏切ったのか。 そこには、自分が偉くなりたい、派閥を作りたい、
金もうけしたい そうした卑しい心の働きがあったであろう。
いずれにしろ、裏切りは、師弟を忘れるときから始まる。 師匠を馬鹿にする傲慢から始まる。
だからこそ、大聖人は徹して師弟を教えられた。 戸田先生も厳しく師弟を訴えられた。
「師弟の道」こそ正義である。いちばんの「善の道」である。
師弟不二――ここにしか仏法はない。それを魂に刻んでいくことだ。
次の五十年へ、新しい広宣流布の闘争は開始された。私も、すでに新たな戦いを始めている。真剣である。
もう一回、一から学会を建設しゆく決意で進んでいる。