宿坊の掲示板
★★師弟不二ARCHIVE★★
http://sgi-shiteifuni.com/
下記条件に沿った投稿を確認した際、
1.スパム性の高い内容
2.猥褻性の高い内容
3.個人情報の漏洩性の高い内容
4.不適切な書込は削除人にチェックを依頼
5.同一内容の二重投稿・多重投稿は削除
チェックされた内容は、上記ポリシーに沿い削除を実施します。


名前
Eメール
題名
内容
写真

URL
削除キー 項目の保存

[9551]

題名:透徹した信心

名前:ジョーカー

MAIL 投稿日: 2024/03/30(土) 10:32 240d:1a:186:ad00:6006:ec5d:f3ae:bea7(IPv6:so-net-jpnic-jp-20101215) (240d:1a:186:ad00:6006:ec5d:f3ae:bea7)

戸田先生の言葉 人間革命9巻 展開より
「広宣流布は、どこまでいっても、結局は御本尊様の仕事です。自分たちがやっていると思うのは、一種の傲慢です。御本尊様の仕事なら、へマをするはずはない。その時、その段階で、中心者となり得る人はいるんです。悲しいかな、われわれ凡夫の目には、それが見えないだけだ。いつ、いかなる場合も、透徹した信心が要請されるわけだ。それで、われわれの凡眼も、仏眼の一部となることができる。」
:::::

広宣流布は御本尊の仕事であるが故に、透徹した信心のない者が中心者となると、過ちを犯す可能性が高まる。現実に法を弘めるのは御本尊ではなく人(凡夫)であることを、よくよく考える必要がある。信心なき一念は、御本尊に感応することはないので、仏意と合致しなくなる。これが広宣流布を遅らせる要因となり、下手をしたら、破綻・頓挫させてしまうことにもなりかねない。

信心がなければ仏力・法力は顕れない。すべて御本尊がなんとかしてくれるという、他力本願の信心なき一念では、寸善尺魔の娑婆世界では悪に呑まれていく。悪と戦う一念に呼応して、仏力・法力が湧現し、悪を滅する力となる。池田先生の幹部や組織への厳しい指導は何のためだったのか。池田先生が内部の悪と戦い続けたからこそ、創価学会は発展し、会員は守られた。それは54年以来、ずっと続いている闘争であり、受け継ぐべき、最第一の学会精神といえる。

悪と戦う透徹した信心がなければ、54年のように状況に流され、誰かを犠牲にすることになる。これ、人間主義の破壊に繋がってしまう。54年は、池田先生が犠牲になった。池田先生の透徹した信心がなければ、この時点で学会は終わっていたと言っても過言ではない。現実には、透徹した信心があれば広宣流布は出来るし、なければ出来ない。問うべきは、自分自身が透徹した信心になっているか否か。ここが出発点となる。

その上で、組織は中心者で決まるので、中心者の信心が弱ければ、会員が苦しんだり、仏意に反したりしてしまうので、おかしいものをおかしいと言っていく必要性がある。だが、信心ない(弱い)ものに話をしても、聞き入れられず、批判と捉えられてしまうので、伝え方をどうするか問題も起きる。まったく凡夫の世界は大変である。よほどの智慧と勇気がなければ変革は出来ない。

御本尊を信じ題目を唱え(信力)、自分の今ある立場、力量で行動(行力)を起こす。その一念に感応し、仏力・法力は湧現し、御本尊の仕事はなされていく。ちなみに「文句があるなら、自分自身が中心者となり、模範をつくっていけ」というのは、峻厳な師弟関係があればこそ成り立つ台詞であり自覚の問題なので、同志間や、ましてや幹部が会員に言って良い言葉ではない。それはかえって無慈悲と責任転嫁となるので要注意です。

それぞれが透徹した信心になっているかを意識し、御本尊の仕事の邪魔をしていないかを検討していくこと。そして仏力・法力が湧現しなければ広宣流布は進まず停滞するので、それをバロメーターにし、自身の信心を再確認していくこと。とくに有役職者や、活動家の自負のある人は、いつの間にか信が弱まり、自分が広宣流布を進めていると、傲慢に陥っていないかどうかを確認すること。そういった、定期的な信心の総点検をしていくことをお勧め致します。




Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板