[9494] 題名:3.「負荷なき自己」と「位置ある自己」の使い分け
名前:霞ヶ関リークス
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投稿日:
2024/03/26(火) 22:17
2001:ac8:88:2000:8e28:d35d:e7ba:7e0c(IPv6:m247-ltd-dublin) (2001:ac8:88:2000:8e28:d35d:e7ba:7e0c)
日 :『白熱教室』で有名なハーバード大学のマイケル・サンデル教授は
こういう人間観を「位置ある自己」と呼んでいる。
自分を先祖から子孫への縦のつながりと、
家族や地域、国家の中での横のつながりの中でも自己を位置づける。
そういう縦糸横糸がなす織物の中での「位置ある自己」という意味なんだ。
それに対して祖先の歴史など関係ない
という人間観を教授は「負荷なき自己」と呼ぶ。
先祖からのしがらみや子孫への使命、隣人同胞への責務などの「負荷」から
完全に解放された自由な個人という意味だね。
我々が「負荷なき自己」なら、他国民が自由に入ってきて、
同じ権利を享受するのも平等だろう。
しかしそれなら先祖のことについても、我々には全く責任はない。
だから歴史問題など全然関係ない。
我々が「位置ある自己」ならば、我々の同胞に入るためには、
一緒に「負荷」を引き受ける意思を表明してもらわなければならない。
その場合、先祖の負債も引き受けるから、
もし先祖の行為について謝るべき点があれば、
一緒に謝って貰わねばならない。
花 : そうすると、私の友達は、
地方参政権については「負荷なき自己」の立場から要求し、
歴史問題については「位置ある自己」として先祖の行為に関して
謝罪や補償を要求している、ということですか。
都合よく立場を変えて、両方の要求をしているということでしょうか?
日 : サンデル教授なりに政治哲学の次元から考えると、
そういう論理矛盾が見えてくる。
4.「負荷なき自己」とリベラリズム
花 : 「負荷なき自己」と「位置ある自己」というのは、
直観的によく分かりますけど、
そういう考えはどこから来たのでしょうか?
日 : 欧州では宗教戦争に見られるように宗教的な対立が長く続いた。
そうした宗教的道徳的な論争から自由(リベラル)な政治を目指して、
価値中立的な政府が理想とされたんだ。
そこでは国民はどのような思想信条を抱くのも自由だし、
政府は特定の思想信条に肩入れしてはいけない、と考えられた。
そこでの国民は歴史のしがらみから解放され、
地域や家族、教会などにも束縛されない自由な個人として考えられた。
ここから「負荷なき自己」という人間観が出てきたんだね。
花 : なるほど「負荷なき自己」が集まって
「価値中立的な国家」になっているわけですね。
でも、そんな社会には互いへの同胞感なんか、生まれるのでしょうか。
日 : サンデルは、まさにそれが
現代アメリカで起こっていると指摘しているんだ。
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この数十年でわれわれは、
同胞の道徳的・宗教的信念を尊重するということは、
(少なくとも政治的目的に関係する場合)それらを無視し、
それらを邪魔せず、それらに――可能なかぎり――かかわらずに
公共の生を営むことだと思い込むようになった。
だが、そうした回避の姿勢からは、
偽りの敬意が生まれかねない。
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日 : 「偽りの敬意」とは、
互いの道徳的・宗教的を尊重するふりをしながら、無関心でいることだね。
それでは国全体のことを損得でしか議論できなくなり、
結局、民主主義を支える国民同胞感が失われてしまう。
国民としての同胞感がなければ、多数決で負けても、
多数派の意見を「自分たちも含めた国家全体の決定」だと
潔く認めることはできなくなるだろう。
花 : この前の大統領選でも、
選挙後に不正があった、なかったで、混乱が続きましたが、
それは民主主義の基盤となる国民同胞感が失われていた為なのですね。
日 : そう思う。そして、それは政府は価値中立的でなければならず、
国民は「負荷なき自己」としての自由を持つという
リベラル思想の帰結だと、私には思えるんだ。
5.アリストテレスの考えた共同体
花 : 国民同胞感とは、まさに「位置ある自己」の出番ですね。
日 : その通り。この人間観の源流はとても古く、
サンデル教授はアリストテレスまで持ち出している。
アリストテレスは、都市国家(ポリス)を
単なる防衛共同体や経済共同体とは捉えなかった。
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政治の目的は、まさに、
人びとが人間に特有の能力と美徳を養えるようにすることだ。
共通善について熟慮し、実践的判断力を身につけ、自治に参加し、
コミュニティ全体の運命に関心を持てるようにすることだ。
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「人間は政治的動物である」とはアリストテレスの有名な言葉だけど、
日本語では「政治」とか「動物」には
良くない語感が籠もってしまうので、誤解しやすい。
彼が言うのは、人間だけが高度な共同体を作れる、
という現代の進化人類学にも通ずることを言っているんだね。
その共同体の中で歴史を通じて深めてきた「共通善」があり、
それを学び、さらに維持し深めるよう他者と智慧と力を合わせる、
そういう姿が共同体の理想だと考えた。
花 : えー、それは先生が以前、教えてくれた神武天皇が
「大御宝としての国民が力を合わせて、一つの屋根のもとに暮らしていこう」
という建国の理想と、ほとんど同じじゃないですか。
日 : 人間の叡智が深まれば、
人類として共通の根っこにつながっていく、ということだろうね。