[8784] 題名:あのねぇ~
名前:桃太郎
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投稿日:
2024/03/02(土) 14:06
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こっちのセリフでしょ。w
>その基準で言ったら、日蓮大聖人がキリストよりも下になる。
普通は「その基準で言ったら、「創価学会」がキリストよりも下になる。」と言うべきところを意図的に「日蓮大聖人」に置き換えている。幼稚な手法だね。まったく。w アホ過ぎる。
まるで、桃太郎の主張は「日蓮大聖人を侮辱している」と言わんばかりに。
こう言う姑息な手段しか思いつかんのかね?(苦笑
まぁ、世間に相手もされない日顕宗はな--んの実績も無いので、数ある創価の実績にケチつけては、誰もが関心の無い「信者の増減」というショボ過ぎる見栄で、精一杯はしゃいでいるのがオチだろう。ww
情けないと言ったらありゃしない。ww
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>「俗世間の学者の意見で仏法の正邪が決まる」という判定基準が御書のどこにある?
と言いながらオックスフォード大学の教授の調査を引用するバカ。w
>仏教では「僧侶が上で信徒は下」があたりまえであって
時代を考えろよ。
<ハイお勉強に時間です>
もともと「僧」は、「僧伽(サンガ)」の略で、「衆」「和合衆」等と漢訳され、それ自体、団体を意味している。
後世、中国や日本では、仏門に入った個々の人をいうようになったが、本来は、四人以上(三人または五人以上との説もある)の比丘が一緒に集って修行する団体のことをいったのである。
竜樹はその著『大智度論』で「僧伽」について次のように述べている。
「譬えば大樹の叢聚するに、これを名づけて林と為す。一一の樹を名づけて林と為さず。一一の樹、除いては亦林無きが如し。かくの如く、一一の比丘、名づけて僧とは為さず。一一の比丘、除いても亦僧なし。諸の比丘、和合するの故に、僧の名は生ず」
***この意味で言えば、創価学会こそ総じて「僧宝」と言えるのであって、末法無戒を良いことにキャバクラで飲み遊んでいる日顕坊主のことを言うのでは無い。
>「僧俗平等」を説いた経典や御書があるなら提示してみろ
そういう考えだから、邪教だというんだよ。
「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」(法華経677㌻)
法華経を受持している者を見たなら、必ず、立ち上がって迎えるべきであり、まさに仏を心から敬うようにすべきであるということ。
また日蓮大聖人は「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」とまで仰せだ。
僧俗は役目の違いであって、人間的な上下の関係では無い。一切衆生は平等に本来「仏」と言うのが大聖人の仏法なんだよ。