[8748] 題名:今後、創価学会は、「ますますフツー化して自然衰退」するそうです! 西山茂先生の考察です。
名前:西山門下
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投稿日:
2024/03/01(金) 08:39
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仏教タイムス 第3016号
2024年(令和6年)1月1日
THE BUKKYO TIMES
特別寄稿 西山茂 宗教社会学者
ますますフツー化して自然衰退
池田名誉会長の死と『教学要綱』発行後の創価学会
創価学会の池田大作名誉会長の死去後、特に新聞
で評伝や解説が掲載されたが、政治や外交に関するものがほとんどで、宗教については少ない。池田氏が監修した『創価学会教学要綱』は、今後を占う意味で貴重な資料だとする宗教社会学者の西山茂氏に特別に寄稿頂いた。西山氏は、ライフワークの一つとして創価学会を多年にわたり研究してきた。
昨年11月15日に創価学会の池田大作名誉会長が逝去した。発表は、どういうわけか家族葬の終わった後の18日であった。すなわち、創立記念の祝賀行事を終えた後であった。この日はまた、『創価学会教学』の発行日でもあった。23日には創価学会葬が行われた。
『教学要網』は生前の池田が監修したことになっているが、13年間も同会の公式行事に出られなかったということからみても、本当に監修したかどうかについては分からない。しかし、これは、日蓮正宗の伝統教学からの呪縛と世俗社会のプレッシャーを、ともにかわそうとする在家教団としての創価学会の野心的な試みであり、ポスト池田の創価学会を占う貴重な資料でもある。
池田は1960年に第三代会長に就任し、当初は戸
田城聖前会長の路線を継承していたが、次第に激しい「折伏」や他宗への「謗法」攻撃その他の非常識的な行動を緩和して行き、1970年には「国立戒壇論」を放棄するとともに公明党の「政教分離」(創公分離)を社会的に宣言した。これらのことは世間常識への譲歩であり、宗教運動論的にいえば公称750万会員世带達成(1970年1月末段階)という著しい教勢の発展にともなう夜郎自大的な宗教運動のフツ一化現象である。
●宗教運動のフツー化から教学のフツー化へ
しかし、日蓮正宗の「内棲宗教」(教団内の教団)
であった創価学会の場合のフツー化現象には、これとはまた別の教学的な要素があった。それは、
在家教団としての創価学会の存立にかかわるような日蓮正宗の極端な教学主張(大石寺法主の「唯受一人血脈相承」と一閻浮提総与といわれる「戒壇本尊」など)との訣別であった。
創価学会は、1977年以降、二度にわたる日蓮正宗との対立・葛藤(第一次および第二次の宗門問題)を経て、1991年に日蓮正宗から「破門」された。
こうして、創価学会は正宗から独立した完全な在家教団になった。創価学会の日蓮正宗との組織的な訣別は、必然的に正宗教学からの訣別という結果をもたらした。こうして、大石寺法主の「唯受一人血脈相承」や会員がもはや拝謁できなくなった大石寺の「戒壇本尊」も、『教学要綱』の発行を待たずに実質的に否定されるにいたった。
こうした教学的なフツー化現象は、ときには教学部の分裂をともなうほどの痛みもあったが、池田時代の教学的総決算ともいうべき『教学要網』の発行で最終的にはどうにか落着したようである。
『教学要綱』をまとめた主体は、むかしの「東京大学法華経研究会」出身者を含む同会本部のトップ職員や創価大学の教員たちだが、彼らは、創価大学出身の「池田カルト」(池田を今日蓮のように敬う同会内のグループ)や正宗教学から抜けきれない者たちの考え方を排除するとともに、創価学会やSGI(創価学会インタナショナル)が置かれた現状や、日本の日蓮教学の主流の考え方にも配慮したかたちになっている。
『教学要綱』のポイントを日蓮正宗の伝統教学との関連で整理してみれば、
①正宗のように日蓮を「久遠元初の自受用報身」
とはいわないものの日蓮本仏(仏宝としての日蓮)論を維持していること
②にもかかわらず、日蓮と「戒壇本尊」との「人法一箇」をいわなくなったこと
③正宗のように法宝として「戒壇本尊」をあげずに一大秘法の「南無妙法蓮華経」をあげていること
④正宗のように僧宝として日興を立てるのではなく在家教団の創価学会を立てていること
⑤戒壇論では一国広宣流布の暁に建つ戒壇堂を意味する事壇ではなく本尊受持の当処はどこでも理壇であるという理壇論の立場を取っていること
⑥「四箇格言」(真言亡国・禅天魔・念仏無間・律国賊)を放棄(池田が既にいっている)しているように、SGIの海外布教の影響もあって総じて
他宗他教の風俗習慣に寛容になっていること
などであろう。
●正宗教学からの訣別はかった池田時代
池田時代の創価学会の総括として、評者の多くは、政治や世俗と同会との関係について論じるが、日蓮正宗との関係について宗教的に論じている評者は少ない。しかし、創価学会は何よりもまず宗教団体なのであり、しかも、長い間、日蓮正宗の「内棲宗教」であったので、こうした側面を無視したりしてはいけない。事実、池田時代の創価学会の歴史は、一方で、世間の常識と折り合い
つつも、他方では正宗の伝統教学と戦わざるを
えなかった。つまり、池田時代の同会は、教勢の
発展にともなう「ふたつのフツー化現象」という課題に挑戦したのであった。そして、その教学的ないとなみの帰結が、『教学要網』発行であったといえよう。かくして、創価学会の池田時代は、終わった。
今後の創価学会は、往時の勢いが今はなく、会員の高齢化も手伝って、ますますフツー化現象
(将来、日蓮本仏論の放棄もあるかも知れない)と自然衰退が見込まれる。公明党も、獲得する議席と票数を次第に減らしていくであろう。
··········
にしやま・しげる/1942年生まれ。東京教育大
学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。東洋大学名誉教授。法華コモンズ仏教学林理事長。
単著に『現代日本の法華運動』(春秋社)。編著に「シリーズ日蓮」第4巻『近現代の法華運動と在家教団』(春秋社)。共編著に『新宗教典』(弘文堂)『現代人の宗教』(有斐閣)『リーディングス日本の社会学・第19巻「宗教」』(東京大学出版会)など。