[8679] 題名:信心とは
名前:末端信者
◇
MAIL
投稿日:
2024/02/25(日) 19:59
219.109.62.28.user.e-catv.ne.jp (219.109.62.28)
題目を唱えていない人に 大聖人の仏法というか、因果の理法、永遠の生命とか、
本当の意味は理解できないと思います。実感できないからだと思います。
提婆達多、五老僧など、天台、伝教の直弟子などでも理解できていないどころか、全く信仰心がありません。
貪瞋痴に塗れた凡夫そのものです。何を修行したのか?何の時間を過ごしたのか?
魔に負けたと言えば済むのか?見せ掛けだけの 怠け者だったのか?それとも、後世の戒めのためか?
ちょっと前のお山、そのころからの組織、時代は繰り返されるのでしょうか?
それはさて置き、これからどうしていくか?
我見ですが、やっぱり、題目を唱えることから始めないといけないと思います。
それが、大聖人の信心だからと思います。それ以外に、正しい 再出発はないと思います。
題目を本当に唱えている人しか 信用してはいけない。でないと、同じ失敗を繰り返すと思います。
毎日、きちんと題目を唱えることで、バカはバカなりに、言動が正されていく。
耐えながらも、求道心が強まる。儚いながらも、確信めいたものが感じられてくる。
そして、また、なんとか唱題できる。その繰り返しが、続けられるかどうか?
それもやっぱり、とにかく、題目を唱えることから可能になる。
諸天の加護を、僅かでも実感できるまで、意地でやり続けることがスタートだと思います。