[8591] 題名:バカは簡単に騙される。
名前:桃太郎
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投稿日:
2024/02/20(火) 02:13
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>なにしろ御書に含まれていない天台宗の文献の文言さえもすらすら出てくるからね。
スラスラ言えても御書を理解出来ない日顕坊主なのよ。ww
ほんと天台沙門かよ。五老僧の末裔か?w
<日興遺誡置文>
第八条「学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶う可からざる事」
「(仏法の)学問がまだ完成していないのに、名聞や名利を考える僧侶は、私の末弟ではない」ろくに修行もせず、ただ尊敬されることを求め、利益を求める。こういう僧侶を、大聖人は「食法餓鬼(法を食いものにする餓鬼)」とも仰せである。」
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第十条「義道の落居無くして天台の学文す可からざる事」
「大聖人の正法を会得せずして、天台の法門を学んではならない」
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大聖人の「事」の仏法に対して、天台の法門は「理」である。事と理の法門の間に、天地の勝劣があることがわからず、「天台沙門」と名乗ったのが五老僧であった。
大聖人の仏法を深く学ばないうちに天台の法門に入ると、そちらに引きずられ、正しい信心を失ってしまう危険がある。
こうした遺誡にもかかわらず、本山では御書を徹底して学びもせずに、天台の教学を中途半端に教えたりしている。
(例年、本山で行われる教師講習会の教材は、天台の三大部。しかも「講義を聞いていても、さっぱりわからない」と、不評であった。御書を真剣に学ぼうとせず、天台の法門にとらわれていること自体、日興上人の御遺誡に違背している)
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第十一条「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事」
「当門流においては、御書を心肝に染め、極理を師から受け伝えて、そのうえで、もし暇があるならば、天台の法門を学ぶべきである」
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日淳上人は、この条目について、当時、天台の教学を中心として大聖人の教学に臨む風潮があったことへの誡めであるとされ、「大聖人の教義は徹頭徹尾聖人の御書によって決定されねばならない」と仰せである。
(しかし「御書根本」どころか、ある青年僧侶によると、所化時代に御書を学んだのは、一年間で八時間程度、一カ月にすると一時間もなかったという
。
そのため、僧侶の教学力はお粗末そのものであり、学会の任用試験を受けても、住職クラスの大半は合格できないだろう、とさえ言われている。
御書をまともに拝読できない住職が多いという、婦人部からの指摘も多い。
そのうえ、日顕の御書講義は、いたずらに難解さを気どるばかりで、大聖人の御精神をまったく伝えていないことで有名である。
要するに、法主という「権威」の誇示のために御書を利用しているにすぎない)
日興上人は、御書を「心肝に染めよ」「極理を師伝せよ」と仰せである。
日顕宗では、御書の一文一句たりとも「心肝に染めて」はいない。
また大聖人、日興上人への「師弟の道」、宗門の先師への「師弟の道」も完全に踏みにじっている。「師敵対」そのものである。