[8568] 題名:教学は実践の中で学ぶもの
名前:桃太郎
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投稿日:
2024/02/19(月) 10:26
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元創価の現法華講員くんは典型的な二乗だな。w
学問を究めた人間は、素人にも分かりやすく説明出来るのです。
学問が中途半端な人間ほど、小難しい理論を引き出して自分を良く見せようとします。
教学も同じです。つまり、難解な経文を持ち出して偉そうにしている者ほど、実は仏法をよく分かって居ないのです。
悟り澄まして偉そうに説法する日顕坊主など
日々、友の幸せを願い、祈り、励まし、悩める人のため、懸命に広布に戦う学会の婦人部(現在の女性部)の足下にも及ばないのです。
彼女らは御書を身で読んでいるから仏法の本質を理解出来るのです。
だから、同苦しながら人を励ませる、希望を与えてあげられる。
これが、「人を救う教学」か「見栄張るだけの教学」かの違いなのです
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<土籠御書>
法華経を余人のよみ候は、口ばかりことばばかりはよめども心はよまず。心はよめども身によまず。色心二法共にあそばされたるこそ貴く候え。
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日蓮大聖人も信徒へのお手紙は極めて安易な文体で書かれています。
難解な経文を持ち出しても人は救えないのです。
まさに日顕宗の教学は「口ばかりことばばかりはよめども心はよまず。」でしか無いのです。